南シナ海判決:国民のナショナリズムをいかにして静めるのか…中国政府の難しい舵取り ニュースフィア 2016年7月19日
オランダ・ハーグの常設仲裁裁判所が12日に下した判断は、南シナ海への中国独自の権利主張をこてんぱんにやっつけるものだった。これにより、南シナ海は古来より中国のものだと内外に言い続けてきた中国政府は、厳しい立場に立たされることとなった。中国政府は、現実的な解を求めてフィリピンなどと交渉を進めつつ、自国民からは弱腰と見られないようにしなければならない。中国政府は現在、どのような方針で動いているのだろうか。
◆中国国民は南シナ海は自分たちのものだと教え込まれてきた
中国政府は国民に対し、南シナ海は間違いなく中国のものだと教え込んできた。インターナショナル・ニューヨーク・タイムズ紙(INYT)は、南シナ海が古代から中国のものだということは、長きにわたって中国の学童に教えられているレッスンの1つだと伝えている。米ニュース専門放送局CNBCが指摘するとおり、中国国民の観点では、南シナ海の大部分は自分たちのものだ。仲裁判断によってそれがほぼ完全に否定された。
このことは当然、中国国民からの強い反発を巻き起こした。ブルームバーグの論説サイト「ブルームバーグ・ビュー」(BV)のコラムニスト、アダム・ミンター氏は、仲裁判断が出て間もないうちに、中国のソーシャルメディアがナショナリズムに満ちた怒りのコメントであふれたことを伝えている。
一方で、仲裁結果は、政府に対する中国国民の信頼をいくらか損なうものでもあった。中国国民は政府から、南シナ海に関しては何人も中国を打ち負かせないとのお決まりの話を与えられ続けてきた、とINYTは語る。それが仲裁判断によって覆されたことで、中国政府は国外だけでなく国内でも信用性の問題を押しつけられた、としている。
そこで中国政府は仲裁判断について、それがいかに不当であるかを自国民にアピールしていく必要がある。また、しかるべき対抗手段をきちんと取っていることを国民に見せていく必要がある。
だが中国は、関係各国との2国間協議によって問題の解決を図ることをかねてから主張している。特に、前任者よりも親中的とみられる、ドゥテルテ氏が大統領に就任したばかりのフィリピンとは、対話ができるとの期待を抱いているようだ。
CNBCは、中国政府は仲裁判断によって、憤慨したナショナリスティックな国民と、中国の譲歩を期待している国際社会の重みを比較検討しなければならない極めて難しい立場に置かれたと語っている。
◆中国国民の受けた衝撃を和らげるために中国政府はどのような行動を取ったか
仲裁判断が下されてから、中国政府が主に自国民向けに、どのような対応を取ってきたかを見てみよう。
仲裁では、スプラトリー(南沙)諸島のスビ礁とミスチーフ礁の扱いが争点に含まれていた。中国はこれらを埋め立て、人工島とし、3000メートル級滑走路を建設していた。INYTは、中国政府は13日、この2つの人工島の占有が全く無傷であることを国民に実地に示すため、民間航空機2機を派遣した、と伝えている。だがそれでも、中国政府はこの日、南シナ海に戦艦を派遣するまでは至らなかった、と同紙は伝えている。中国政府は控えめな力の誇示で仲裁判断に抗議している、と同紙は語っている。
またINYTは、中国政府による南シナ海の支配は損なわれていないと、自国民に示すことを意図したもう1つのサインとして、中国人民解放軍機関紙が新型の先進ミサイル駆逐艦の就役を公表したと伝えた。こういった発表は、対外的にはまだ具体的行動に出ていなくても、国民に対して必要な備えは取っているとアピールするのに役立ちそうである。また共同通信は、中国海軍が予備役兵を招集しているとみられることが13日分かったと報じている。これも同様の趣旨と解釈することが可能ではないだろうか。
◆仲裁判断は不当なものだとアピール
また中国政府は、仲裁判断がいかに不当で中身のないものであるかを強くアピールしているが、その根拠の薄弱さを考えると、主に自国民向けプロパガンダと考えたほうが腑(ふ)に落ちる。
判断が下される前からその試みはすでに始まっていた。CNBCは、中国国営メディアがこの3週間にわたって、仲裁裁の判断は無意味なものであるか、または中国に対する陰謀の一環だとしてはねつける特集ページと風刺漫画を掲載して、南シナ海問題をめぐる会話を方向付けようと務めてきた、と伝えている。BVのミンター氏は、ある広く流布している風刺漫画では、フィリピンは「アンクル・サム」(アメリカの別称)に操られているマリオネットとして描かれており、日本はついたての裏から声援を送っている、と描写した。
判断が下されるのに前後して、中国政府は仲裁裁の運営や裁判官について、盛んに文句を言いたてるようになった。中国外交部の劉振民副部長は(13日に行われた仲裁判断への反論会見で)、仲裁裁判所自体の適格性への猛攻撃を主導した、とINYTは伝える。その攻撃内容は、仲裁の審理に当たった裁判官5人のうち4人が欧州出身者であること、また5人中4人を日本人の柳井俊二氏が指名したこと、裁判官への報酬をフィリピンが払っていることなどから、不公平な仲裁判断がなされたと断じたものだ。
だが後2者に関しては、これは他ならぬ中国が生じさせた事態である。柳井氏はフィリピンが仲裁を申し立てた当時、国際海洋法裁判所所長だった。INYTが国際海洋法条約(UNCLOS)の専門家らの発言として伝えるところによると、通常、5人の裁判官が審理する仲裁裁判では、紛争当事国がそれぞれ2人を選び、国際海洋法裁判所が1人を選ぶという。しかし今回フィリピンは、2人選べるところを1人しか選ばなかった。これは、海洋法専門家、ケンブリッジ大学講師のマーカス・ゲーリング氏によると、指名する数が不釣り合いにならないようにと、フィリピンが柳井氏に残りの4人を指名するよう依頼したのだという。中国は仲裁手続きへの参加を当初から拒んでいた。
裁判官への報酬に関する論難についても、ゲーリング氏は、商業仲裁であれ国際仲裁であれ、海洋法上の問題を含む仲裁裁判では、両当事者が仲裁者(裁判官)への報酬、法廷速記者、ITといった他の諸費用を支払うのが通常の慣行である、と説明している。しかし中国がこの支払い請求を無視したため、フィリピンがすべて支払わなければならなかった、とフィリピンの弁護団長のポール・ライシュラー氏は説明している。
また劉副部長は、柳井氏が安倍首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の座長だったことに触れ、「裁判手続きの過程で影響を与えた」と述べた(朝日新聞)。朝日新聞は、判決に日本の政治的な意図が関わっていると強調することで、国内世論の不満を日本に向けさせる狙いとみられる、と分析している。
◆中国政府は国民の怒りを調節しようとしている?
中国政府は、国民の怒りの発露をコントロールする動きも取っている。BVのミンター氏は、今回の件に関しては、2012年の反日デモのような大規模な集団的抗議活動がまだ見られず、この先も状況は変化しそうにない、と語っている。(産経ニュースは、14日、中国甘粛省白銀市で数十人が1時間ほどデモを行ったと報じている)
その理由の1つは、当局が大規模な抗議活動が起こらないように、SNSの検閲などを強めていることだ。今回の仲裁に関しては、2012年の時とは違って、中国の検閲者は(判断が下された後)ほとんどすぐに、南シナ海での戦争を呼びかけるといった、最も扇動的な投稿の削除を開始した、とミンター氏は伝える。また、当局者らはときどき、主要なソーシャルメディア上で「南シナ海」という言葉を検索することさえブロックしたという。
ミンター氏によれば、当局はデモが起きるのを妨害するため、北京のフィリピン大使館周辺に警察の非常線を速やかに張ったそうだ。INYTはこの件に関して、中国がドゥテルテ大統領との交渉に備えていることがほのめかされたと語っている。
ミンター氏は、中国政府が、少なくとも今のところは、国民の怒りを調節することに自分たちの利益があると判断しているように見える、と語った。運が良ければ、中国の指導者らはそのおかげでより攻撃的な対応を取らずに済み、フィリピンや他の東南アジア諸国との交渉を追求する余地が生まれるだろう、と語っている。