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災害弔慰金制度。東日本から広島、熊本の災害をへてついに運用見直しへ (2016/7/5 東北復興新聞

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東日本大震災では、20,055件の災害弔慰金が支給されました(2015年3月末時点)。2万件の方に500万円が支給されたと思いがちですが、実はそうではありません。500万円が支給されたのはわずか3,827件、19%に過ぎません。実は、残りの81%にあたる16,228では、半分の250万円しか支給されませんでした。

私は、東日本大震災の被災地、陸前高田市の仮設住宅で、ある被災者の方から「この制度はおかしい」「私が働いていたせいで、夫の命が半分になった。私は働いていない方がよかったのか。こんなの納得できない」と強く叱責されたことがあります。

その後の御嶽山の噴火や広島豪雨災害でもそうでした。遡れば新潟中越沖地震、中越地震、阪神淡路大震災でもそうでした。

東日本大震災以降、私はずっとこの見直しを求め続けてきました。このたび、無事見直しがされましたので、報告させていただきます。

[弁護士が見た復興]震災直後の被災者支援、復興計画における政策決定、事業者や生活者の再建支援など、復興の現場では様々な場面で弁護士が関わっています。現地での支援や後方支援に当たった法律の専門家から見た復興と法律に関するコラムを、現役弁護士がリレー形式で書き下ろします。今回の執筆者は、岩手県宮古市の「宮古ひまわり基金法律事務所」所長として勤務中に自らも被災し、最前線で法律面からの復興支援に携わった、小口幸人弁護士です。

家計

所得が103万円を超えると弔慰金が払われない?

まず、制度の概要についてお話しします。災害弔慰金の金額は、法律と施行令に基づいて支給されています。法律は金額について「死亡者1人当たり500万円を越えない範囲」と定めており、施行令は、「死亡者が生計を主として維持していた場合」は500万円、その他の場合は250万円と定めています。

では、「生計を主として維持していた場合」とはどういう状態なのでしょうか。この運用は、厚生労働省の1975年の通知に基づいており、40年前の通知には、次のように書かれています。

生計を主として維持していた場合、というのは、死亡者が主たる扶養者であったとみられる場合で、なおかつ、遺族の収入が一定額以下(現在では103万円以下)の場合を指します。

この通知に基づいて運用すると、次のような結果になります。

例1 3人暮らしの家族
所得はAさん(1000万円)、Bさん(150万円)、Cさん(0円)
震災により、Aさんが亡くなった場合、Bさんの所得が103万円を越えているので、Aさんは生計を主として維持していた者と見てもらえず、250万円しか支給されませんでした。

例2 3人暮らしの家族
所得はAさん(500万円)、Bさん(100万円)、Cさん(0円)
震災により、同じくAさんが亡くなった場合、Bさんの所得が103万円以下であるため、Aさんは主として生計を維持していた場合にあたり、500万円が支給されました。

この2つの結論に納得できる方はいるでしょうか?

冒頭に紹介した陸前高田のエピソードは、正に例1のようなケースでした。最も稼いでいたご主人は漁師をしていて、奥様は水産加工の仕事をしていました。

奥様は、以前は103万円という、扶養から外れ所得税を納税しなければならなくなるラインを越えないように働いていたそうです。しかし、仕事が忙しくなってきたことから、震災の少し前から103万円を越えて稼ぐようになり、結果、扶養から外れ税金も納めていました。

震災で漁師のご主人が亡くなりました。私は、どうみても主たる生計維持者が亡くなったと感じましたが、奥様の収入が103万円を越えていたので250万円しか支給されませんでした。奥様は、涙を浮かべながら、大きな声で私にこう訴えたのです。

「私が働いていたせいで、夫の命が半分になった。私は働いていない方がよかったのか。」

制度改正をめぐる国会審議

実はこの問題は、当時も話題になりました。

2011年10月24日の衆議院東日本大震災復興特別委員会において、石田議員(公明)の質問に、小宮山大臣(民主)は次のように答えていました。

小宮山国務大臣「おっしゃるように、私も、今のこの時代には合っていないのできちんと対応を考えさせていただきたい。ただ、それを政令、省令という形でするかどうかについては検討の中でまた考えさせていただきたいと思いますが、はっきりとわかりやすい形でお示しをしたいと思っています。」

しかし、本当に些細な運用改善がなされただけで、1975年の通知は残ったままになりました。

私はその後も運用見直しを求め続けました。講演会で話をしたり、議員に陳情に行ったりしました。しかし、広島豪雨災害の際に見直されることはありませんでした。陸前高田でいただいた宿題は果たすことができず、今度は熊本地震が起きました。

私は再び国会に足を運ぶようになり、民進党の広田一議員(高知)が、この問題を重大な問題だと受け止めてくれました。2016年5月25日の参議院災害対策特別委員会で質問に立った広田議員は、上記のような具体例を示して不合理さを指摘した上で、次のように質問しました。

「東日本大震災のとき、被災地を回って被災者の相談を受けておりました小口弁護士さんという方の報告書を見ますと、陸前高田市で、私が稼いでいたせいで夫の命が半分になった、働かなかった方がよかったのかということですかと涙ながらに訴えられたそうでございます。

つまり、妻の収入の多い少ないで主たる生計維持者か否かが決まるのは、私は合理的でもなく説得力もないと思います。このような理不尽な思いを、肉親を亡くし、極めて困難な状況に置かれております熊本地震の被災者にさせてはならないのが私は東日本大震災での教訓だと考えております。」

この質問に対し、河野太郎大臣(自民)は、「昭和50年の頃の家庭の在り方、働き方と現状というのは大分違ってきているということがあると思いますので、それを踏まえてしっかり対応します」と答弁しました。

6月1日、内閣府政策統括官(防止担当)は通知を出し、実に40年間続いていた不合理な運用が見直されました。

具体的には「生計を主として維持していた場合」については、世帯の生活実態等を考慮し、収入額に比較を行うなどにより市町村において個別に判断する、という運用になりました。

東日本大震災等への遡及適用を

上記6月1日の通知は、運用見直しの理由について、「各世帯における就労状況の変化や社会情勢の移り変わり等を踏まえ」変更すると書いています。つまり、1975年当時から、各世帯の就労状況や社会情勢が変化したから、というのが運用変更の理由です。

さて、この変化は、2016年に突然生じたものでしょうか?私は違うと思います。

間違いなく、東日本大震災当時(2011年)もこの変化は生じていたし、新潟県中越沖地震当時(平成2007年)も中越地震(2004)当時もこの変化は生じていたと思います。1995年に発生した阪神淡路大震災の時点でも、1975年の通達から数えると20年が経過していました。共働き世帯も増えていたはずです。

熊本地震の運用が見直されたことは本当に素晴らしいことです。しかし、この問題は、熊本地震以降を見直すということで終えてはならない問題だと私は思います。少なくとも、2011年10月24日の時点で小宮山大臣(当時)が「今のこの時代には合っていない」と答弁していた以上、東日本大震災に遡って見直されなければならないと思います。

最後に

東日本大震災当時から、災害関連死を追っていた記者が、この見直しを取り上げてくれました。NHKの全国ニュースでも報じられました。その記者は、私に訴えた陸前高田市の被災者の方を探して下さりましたが見つかりませんでした。

引き続き活動し、東日本大震災に遡って運用を見直させることで、きっかけをくださった被災者の方に、宿題を成し遂げたことを報告したいと思っています。

文/小口幸人 南山法律事務所・元宮古ひまわり基金法律事務所所長

提供:東北復興新聞

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