必要なのは戦いではなく対話の場?保守からも聞いた辺野古県民投票の裏側 (2019/3/1 前大田区議会議員 荻野稔)
去る2月24日夜、米軍普天間飛行場の移設に伴う辺野古沿岸部埋めたての賛否を問う県民投票が実施され、即日開票されました。開票率100%で埋め立て「反対」の得票が有効投票総数の72.15%。43万4273票となりました。投票率は52.48%。埋め立て「賛成」は11万4993票で19.10%、「どちらでもない」は5万2682票で8.75%でした。
この県民投票の結果には法的拘束力はありませんが、首相とアメリカ大統領に結果を通知することになります。
さて、私はおぎの稔と言います。東京都大田区で区議会議員の職についていました。今回、沖縄での県民投票を取材しました。基地問題、飛行場の問題というと沖縄県がクローズアップされることは多いのですが、東京には米軍横田基地あり、神奈川には厚木や横須賀、座間や横浜にも基地や施設があります。また、東京都調布市では2015年、住宅地に小型機が墜落し8人が死傷した事故も起きました。成田の三里塚闘争も有名です。
私の住んでいる大田区。大田区の「大田」の由来は蒲田区と大森区の合併の際、一字ずつとって「大田」となったわけですが、大田区には羽田空港があり、最近では都心上空を飛ぶ新飛行ルート問題や羽田空港跡地の利用なども大きなテーマとなっています。
首都空港として、利用客が増え続け、特に国際線の大幅増が予想される首都圏の空の玄関である「羽田空港」や蒲蒲線(新空港線)問題など、関連する鉄道の問題なども存在するのですが、まず、なぜ大田区で区議会議員をしていた私が辺野古の県民投票の取材に行ったのか説明します。
羽田 48時間強制退去問題
羽田空港。敷地が大田区の中にあるので、羽田空港を利用したことのある方は必ず大田区に足を踏み入れていることになるのはご存知ですか?
かつて、羽田空港を巡り、約3000人の住民が、強制的にその土地から退去させられるという、悲惨な出来事がありました。
昭和20年(1945年)の9月のことです。終戦から1カ月後のこの日、当時の進駐軍GHQが住民に羽田拡張工事のために48時間以内の強制退去を命じたのです。「羽田江戸見町」「羽田穴守町」「羽田鈴木町」の3つの村の村民が退去を命じられ、学校も撤去されました。48時間で住居を捨てろというのは、無理強いであり、親戚を頼ったりと住居をすぐに見つけられた人はいい方だったとも聞きます。
2016年に公開された映画「シン・ゴジラ」の中で「避難とは、住民に生活を根こそぎ捨てさせることだ。簡単に言わないでほしいなあ」というセリフがあり、深いと評価を受けていました。実際に起きた敗戦直後の占領軍による48時間以内の強制退去の通達です。当時の羽田にお住いの皆様は、筆舌に尽くし難い思いを抱えていたのではないでしょうか。
犠牲の上で羽田空港は作られ、そして近年、ようやく段階的な廃止が決まった飛行機の左旋回を始め、騒音、振動、環境問題など空港の負の側面とも隣り合った生活を、大田区民も強いられてきました。
空港の機能強化が叫ばれ、様々なリスクや負担との共存共栄が課題になっている昨今の大田区にとって沖縄県は他人事ではないと考え、取材に行き、現地ではラジオにも出演させていただきました。
賛成ではなく、条件つき容認、保守からも出る基地への意見
県外から沖縄県の基地や米軍との関係の問題を報道などで見るたびに、反対派の意見は目にするのですが、保守派の意見があまり出てこないということを皆様不思議に思いませんでしょうか?
東京にいる私の立場から見ても、政権与党側、保守派の方とて、「諸手を上げて基地に賛成はしてはいないだろう」「様々な課題がある中で容認、現状を受け入れているのだろう」と考えていましたが、なかなかメディアからは伝わらない。基地問題というと「政権批判」「出ていけ」といった文字ばかり踊る。そんな印象をお持ちの方は私だけではないと思います。
今回、反対派にも知人を通じて取材を申し込んだのですが、急な依頼だったこと、当日や前日は動員があり、なかなか決まった時間を割くのは難しいとのことだったので、図らずも保守派、普段メディアで語ることの少ない立場の方の意見に重点を置いて聞かせていただくこととなりました。沖縄の問題を知る一助となれば幸いです。
「県連としては静観ですが、私は賛成に投票をしました」
沖縄県に来てから、自由民主党 大山たかお那覇市議会議員の市政報告会に参加し、大山市議より直接お話を聞く機会をいただきました。
「県連としては静観ですが、私は県民投票で賛成に丸をつけました。話せば長くなるのですが、無いものはない方が良い。ただ、無いといけない理由があるので、それはしっかりとブログに書かせていただきました。投票率の話もありましたが、大事なのは得票率です。私は選挙という立場で今の身分をいただきましたので、投票ということについてはしっかりと投票します。私の考えに賛同いただける方は賛成に丸、と書いてください。よろしくお願い致します」(大山市議のブログ)
会場で配布されていた大山市議の議会報告では県民投票の予算可決について、「この県民投票を行うのに那覇市では約5898万円の費用を使用して県民投票を行います。この税金があれば多くの問題を抱える那覇市のひとつでもふたつでも解決につながるものと思っていました」と記載がありました。県民投票も多額の予算を使い行われ、県の補正予算は5億5千万円に上ります。原資が税金であるということも大切な認識です。
会場では、市政報告会に登壇されていたこの夏の参議院選挙に挑戦予定のあさと繁信氏にもお会いしました。お話をお聞きしたところ「結果を見守っています」と、簡潔にお言葉をいただきました。
また、他にも「静観」「勝者のいない戦いになる」「今回は寝ている」という言葉を報告会に参加された方からもいただくとともに「県民に情報がしっかりと伝わらないまま、感情論で進んでしまっている」と、県民を分断することを危惧する意見や「住民投票実施に至るまでの自民党の動きが鈍かった。保守のオピニオンリーダーとして県民への説明、態度表明が弱かった」と政権与党の態度を批判する声もありました。
県民投票当日に特別な何かはないが、語り継ぐ平和・反戦への思い
政権与党である公明党との縁深い創価学会の施設が、一般開放されているということで訪問しました。県民投票当日でしたが、特に基地問題や県民投票への言及、告知などは見当たりませんでした。
会場では「沖縄戦の絵」展を開催。戦争の悲惨さを物語る様々な写真や絵を展示していました。残念ながら写真撮影は禁止でしたが、「沖縄池田記念会館 付属展示室」では、かつて米軍「核ミサイルメースB基地」だった時の資料や模型などが展示されていました。訪問した沖縄研修道場は、米軍の「核ミサイルメースB基地」跡地に1977年に建設されました。米軍基地時代のキューバ危機の際には、いつでも核ミサイルを発射できる態勢を取っていたそうです。核ミサイルのケースを運ぶトラックの写真など、もし、核戦争になれば沖縄も核攻撃の対象となり、沖縄が核戦争の最前線となり得る状態にあったということを今に伝え、沖縄の現実を映す貴重な財産であると思いました。当然ですが、沖縄県の問題は辺野古の埋め立てだけではありません。
「沖縄県民としては反対です。でも沖縄県が日本の中の47都道府県の一つとして考えると」
県内で民族運動を行っている日本民族思想普及会 日思会の佐喜眞理会長からお話をいただきました。「日思会は思想普及会と言いますが、いろいろな意味で日本を思う会である」と佐喜眞会長。
「基地問題からすると賛成・反対かで言えば反対かもしれません。でも戦後の沖縄の生い立ちを考えると反対と言っていいものだろうか。生命、財産、人間としての命がどこに行くのか。日本としてどうあるべきか。賛成か反対かでいえば多分、反対です。
デメリットとして基地を負担する代わりに、こういうふうなことを国は考えているんだよ。こういうふうに沖縄の経済で補っていこうよ。(沖縄の政治家は)どの方もやってこられたことと思うんですが、沖縄県民の中で事実として伝わっているかというと、伝わっていないところがある。その辺の改革と、総理から始まって、階段をどんどん降りていったところで、ちゃんと説明してくれないと、沖縄県民はわからないんだよ、と。
(県民に)「わかんないんだよ」と言わせるのでなく、こういうところまで政治の先生は考えてくれてるのかと言わせるくらいになったほうがいいと思う。
基地の問題で、賛成か反対かと言われれば、沖縄県民としては反対です。
でも沖縄県が日本の中の47都道府県の一つと考えると。日本と考えると、国防どうするんだ、安全保障どうするんだと。
戦後、敗戦後の日本があって、憲法改正、自衛隊の問題もある。それを先に取り組むべきではないか。今、暫くはアメリカさんに戦勝国の責任として、日本にも敗戦国としての立場があるから。戦勝国として責任をとってくれと。
「自分たちで体制をとって守れるようになったら、我々は日本で守っていくんだ」と伝達ですよ。階段をつくっていかないと。それは政治の先生方がもっと取り組んでほしい。
それをやるまでの間、今しばらくは耐えてほしい。その代わりデメリットとして、国は沖縄県のことをこう考えているから、と。ちゃんと会話できないのか。やるやらないっていうのは、沖縄県民にはないと思う。間に挟まれて、右も左も言い切れないのが沖縄県民。
今の日本と沖縄とがかみ合っているかといえば、かみ合っていない。もうちょっと人間として取り組んでもらって、もうちょっと日本人として、47のうちの県の一つとして、沖縄の政治をどうやっていくのか、日本として国を守っていくことなんだと、沖縄県民にもっとかみ砕いてかみ砕いて、判りやすい方向に説明できれば繋がっていくんだと思います。
沖縄県民が置き去りになっていないか
「活動家は活動家の意見として、右も左も良いか悪いかの話をしている。意見としてぶつかるのであれば、国の発展、県の発展があるならそれはいいじゃないか。
良いか悪いか、誰が匙加減を取るのかはやっぱり政治。沖縄をどうまとめていくのか、日本という国をどうまとめていくのか。日本にも沖縄県にもいろんな課題があるじゃないですか。10も20も100も200もある課題、そういう一つ一つの課題の中で、これだけ(政治家は)頭数いるのですから。
オール沖縄でもそうですけど『オール沖縄』という言葉があったとしても『オール』というなら県民一律じゃないですか。各種いろんな意見があって、オールというなら右も左もいろんな意見を聞いてほしい。その中でオール沖縄として動いてほしい、誰が良いか悪いか、勝つか負けるかでなく、それに挟まれているのが沖縄県民。あの人に聞いたらこういうけど、別の方はこういう言う。どこを選択したらいいんですか?というのが(沖縄の)現状だと思う。
沖縄は独特で色的には共産強いですけど、中身的には保守が強い。沖縄の戦後のことも、活動家の方々が赤旗持った、何持ったってやってますけど。沖縄返還の時にやったのは「右も左も日本国に戻してくれ」「日本人なんだ」「沖縄をなんで孤立させるんだ」「早く日本に戻してくれ。アメリカの統治下じゃないんだ、我々は日本人なんだ」とやったのが沖縄の右も左もはしり。オール沖縄の方も赤旗ばっかり持つのでなくて、せめて日の丸国旗、せめて沖縄県旗。県旗と日の丸をコラボして、国家として沖縄県として沖縄県民として物事があるのであれば、そのあたりのことまでオール沖縄の方には主張をやってほしい」
若い人について
「自分もまだまだ勉強中の身なんですけど、意見がないよりはどんな意見でもあったほうがいい。意見を意見として言い合って、その中でどう生きていくんだと、どんなことでもいいから情熱をもって。ただ、自分の体と時間を使う時にはそれが良いのか悪いのかかみ砕いて、かみ砕いてかみ砕いて、かみ砕いて、答えを出したほうがいいと思いますね」
夜は米軍・軍属の方が集まるエリアに
夜は米兵や軍属の方がよく集まるという一角にお邪魔しました。皆さん、お酒も進みとても楽しんでいるようでした。
賑わっている中、何人かに話しかけたのですが、話を始めてすぐに「基地がなかったらどうなっていると思いますか?」と質問をしてくる方がいたのが印象的でした。
彼らも軍隊、または軍属の職員としても、仕事で来ています。彼らも人間で一人一人思いがあり、家族もいます。赴任し、様々な光景を見て、日常を過ごす中で思う所もあるのだと思います。
基地のない土地に生まれ、育ってきた私には理解できないことかもしれませんが、それでも、もっと良好な関係を築けないものかと、経済活性化も含めてですが考えさせられる夜となりました。
意外と人が少なかったテント村
投票日当日には辺野古の街と反対派のテント村にもお邪魔しました。ちょうど雨だったのと投票日当日なので、普段の活動とは違ったのかもしれませんが、2カ所あるテント村にはそれぞれ人が2人ずつ待機されていました。撮影について、お願いしたところ快く応じてくれ、資料もいただきました。
県内での街頭活動もそうなのですが、目立つところにピンポイントで活動をされているのと、街宣車を何度か見かけたというだけで、想像していたほど、選挙などに比べると活動は全面展開をしていないように思えました。
今回の県民投票は当初より法的拘束力がない点も指摘され、県民全体の投票と決まってからも日がなく、また埋立て反対が多数となる事は想像がついていただろうこともあり、大きく人や組織の投入はされなかったのかもしれません。辺野古の問題について、政府与党が静観をきめるなど、賛成・反対双方の議論が進んだという話も聞きません。誰かを勝たせる選挙や大阪都構想やエアコン設置の住民投票のような、結果によって物事が動く可能性の高いものでもない、今回の県民投票は、沖縄県の方にとってもどう受け止めるのかが難しい投票だったのではないかと思います。
政治的な対立・駆け引きを超えた議論に
今回は、当初の予定と異なり、保守派の方の意見を聞く取材となりました。ぜひ反対派の方の意見も合わせて読んでいただきたいと思います。保守派の方もみなさん「ないのならない方が良い」と言われていました。「容認であって『賛成』にマルは書けない」と言う方もいました。
意見は一つではないと思いますが、基地がもたらすデメリットは立場に関わらず皆様、自覚をされているのですから、対立や党派を超えてしっかりと議論する。沖縄県の発展のためにまた共存のためにどういうことができるのか、争いではなく建設的な議論を行うテーブルに右、左、党派を超えてつける環境が必要なのではないかと、感じました。
建設的に議論ができる場が必要なのは、何も沖縄県の基地問題だけでなないと思います。私も東京の大田区で区議会議員として、議席をお預かりしました。
沖縄県ほどの盛り上がりはなかったかもしれませんが、住民の利益と政府の利益は必ずしも一致せず、国全体、東京都としての方向性が必ずしも、区民福祉にイコールではない問題もあります。大田区で言えば、羽田空港の問題、蒲蒲線(新空港線)の問題。東京都でいえば東京オリンピックが都民に強いる課題などがあり、メディアに取り上げられることもあります。
私個人が活動した運動では、石原慎太郎都知事(当時)の都政下でのマンガなどの表現規制問題(非実在青少年騒動)などもありましたが、仮に東京で住民を二分するような大きなうねりが起きた場合、どうなるのかと考えます。
政治に属する者として、選挙を例に見ると、都議会議員選挙では2017年に小池百合子東京都知事が率いる都民ファーストの会が圧勝。2009年には都議会民主党が圧勝し、その反動で2013年には都議会自民党が圧勝をしました。この時、都政の課題について建設的で冷静な議論がされていたか、というとそうではなかったと思います。
今、私たちが31年間暮らしてきた平成の時代は右肩上がりの社会が終わり、一億総中流のようなモデルが崩壊し、少子高齢化が危惧されてきた時代でした。様々な課題が浮かび上がる一方、技術の革新と共に生き方、価値観の多様化が進むモデル無き社会となった事で、100点満点の回答はなく、利害、権利が衝突するのが前提の社会となりました。
その中で、対立はより劇場型化し、先鋭化も進んでしまったように思えます。平成の次の時代には建設的な議論がもっと行われるようになってほしいと思っています。
おぎの稔 前大田区議会議員 無所属
1985年11月30日生まれ 33歳 2015年の大田区議会議員選挙で初当選。
自らもてんかんや自死遺族という課題を抱えた中で、福祉を中心に積極的に提言すると共に、地域では町会の役員や商店会の会員。消防団員を務める。
公式HP:http://ogino.link/
- 関連記事
- TENGAを医療機器に!?大田区から世界へ、アダルト雑貨の挑戦
- マンガで振り返る「東京都の表現規制」、だから都議会は重要だ
- OTAKU文化で大田区をPR―政治家はまず体験を!
- 自死遺族の1人として自殺対策に取り組む、荻野稔 大田区議からの寄稿
- 「女性議員の妊娠」が問いかけること―地方議員が本音で語るWOMAN SHIFT座談会(前編)