マイナンバー特集「マイナンバー導入前夜」
マイナンバーが士業の生存競争を加速させる (2015/12/22 政治山)
近い将来、税理士などの士業が食べられなくなる時代が来る――10年以上前から、有識者が指摘してきた予測。マイナンバー導入が税理士や社労士、公認会計士など士業の淘汰(とうた)を加速させる動きが既に始まっています。
既に始まっているパイの奪い合い
例えば、税務申告や決算のために必要な帳簿業務(記帳業務)。かつては企業の帳簿を税理士や会計士が代行し、彼らの貴重な収益源にもなっていました。しかし、ここ10年余で自社の事務員が行う企業が増え、平均顧問料は現在2万円台で10年前の半値近くまで下がっていると言われます。業務会計ソフトやクラウド技術などICT(Information and Communication Technology)の発達により、専門家集団と言われる士業の業務が各部署で行えるようになってきたためです。
業界が縮小する一方で、手に職を持とうとする受験者で資格試験は人気を保ち、脱サラして士業で開業する人は増え続け、限られたパイの奪い合いが、弁護士や司法書士、中小企業診断士の世界でも起こっています。資格試験の受験者数は2010年をピークに漸減傾向にあり、「資格を取得しても安泰ではない」という認識が徐々に広まっていると考えられますが、開業のチャンスを伺う資格保有者は溜まる一方です。
マイナンバーが競争激化の起爆剤となる!?
スタート前から混乱しているマイナンバー制度は当分の間、「どう対応すればいいのか?」といった企業からの相談やサポート業務、システム導入などで特需になると考えられます。
しかし、対応が一段落し、自社での個人情報の一元管理が軌道に乗れば手続きは以前よりも簡略化するので記帳代行を辞め、顧問契約を解除する動きが加速する可能性があります。限られた委託業務の中で、企業が依頼する相手は、より高いセキュリティ管理を保証してくれる事務所に限られていきます。
電子政府のエストニアでは税理士や会計士が消滅
こうしたICT発達の極端な例が人口130万人の小国エストニアです。同国が導入している「eガバメント(電子政府)」では、各行政機関が縦割りで持っていたデータベースを国民データベース(DB)として連携させました。国民はICチップの入ったIDカード(身分証明書)を使ってあらゆる行政サービスが受けられます。IDカードはスマホでも代用できるようになり、選挙の投票も電子文書の署名も、どこからでも一瞬でできてしまいます。
少ない人口に対して国土が広いエストニアでは、行政サービスなどの窓口業務は不便で、早くから情報通信が発達しました。インターネット電話のスカイプもエストニアで開発された技術です。こうした事情もあり電子政府に対する国民の理解は日本よりも進んでおり、個人情報の取り扱いに関しても氏名や住所も秘匿する日本人に比べ、かなり大らかです。
見方を変えれば国家統制が徹底的に行われているケースと言えますが、エストニア政府は「不要な職業を削っていかないと小国は発展できない」と割り切っています。預金口座も紐づけられており、税金も自動計算なので、法人・個人とも納税申告する必要性がなくなり、税理士や会計士が消滅したと言われますが、社会不安や経済不況に陥っているわけではありません。
むしろ、いち早く合理化が進んだことで、着実に国力を伸ばしています。1人当たりGDPはバルト三国の中でトップの1万9000ドル。政府の総債務残高(対GDP比)も182か国中174位(2014年、IMFデータ)と、債務危機のギリシアを抜いて1位の日本よりもはるかに健全な財政規律を保っています。
社労士業界にもすでに二極化の波
エストニアほど急激な合理化にはならないとしても、マイナンバーはすでに士業の世界を大きく変えつつあります。
TRAD社会保険労務士法人の田畑啓史代表は、マイナンバー制度により情報管理の質の高さが求められる時代に入ると判断。「セキュリティの裏付けが生き残りのカギになる」と考え、9月に第三者認証制度である情報セキュリティーマネジメントシステム(ISMS)の国際規格『ISO/IEC27001』を取得しました。プライバシーマークと並び、質の高い情報管理が認められたことになります。
田畑代表は、「今後は社労士業界も二極化が進むと考えられます。認証制度やシステムを導入しなければ委託業務の依頼は受けにくくなるでしょう。導入すれば経費がかかるので個人事務所には負担が重くのしかかります」と言います。既に個人で営業している老舗の事業所は「手作業では対応できない」として、年内で撤退する動きも表れ始めています。
大企業は自社の労務課が対応する一方、中小企業は安心できる事業所に絞り込んで委託する……マイナンバーにより業界が縮小し競争が激化する中で、事業所はこれまで以上に臨機応変の対応が求められます。
マイナンバーは変化の速度を早めるきっかけに
それでも田畑代表はマイナンバーを前向きに捉えています。「税や社会保険など行政手続きは縦割りになっていますが、制度導入で一元化すれば効率的で便利な社会になる」と語り、公益に適うとして政策に一定の評価をしています。業界の枠で見れば競争が激化するが、大きな視点で見れば国民の利便性が増す……手続き業務の煩雑さを知る社労士の中には田畑代表のようにマイナンバーに理解を示す人も少なくありません。
TRAD社会保険労務士法人はTRAD GROUPの1つであり、公認会計士、税理士、司法書士、社会保険労務士といった横のつながりにも強みを発揮して、顧客ニーズに幅広く応える陣容を構えており、マイナンバー導入後の変化にもフレキシブルに対応しようとしています。
マイナンバーに関わる士業――社労士や税理士、公認会計士、行政書士といった業界の地殻変動が迫る中で、今後は手続き業務よりも、個人情報管理のノウハウを教えるコンサル業務が生き残り策の1つになるとも言われています。時代のニーズに合わせて、変化を前向きに捉えた組織が生き残る原則は、どの世界でも同じ。変化のスピードが緩流から急流にスイッチしたときに備えができているかどうか――組織の信頼維持のために、ISMS認証の駆け込み申請が急増しています。
コラム
カードが支配する社会の行き着く先は
コンピュータが人間を支配するSF世界!?
マイナンバーも将来的にはエストニアのようにあらゆる機能を個人番号カード1枚に集約する「ワンカード化」を目指しています。政府の利活用推進ロードマップには17年以降、クレジットカードやポイントカード、運転免許証などとの紐づけを明記しています。内閣府大臣補佐官の福田峰之・衆院議員(自民)は「ロードマップに書いてあることは全部やる」「世界最先端のIT国家を実現する」と語っているそうです。また、将来的にはスマートフォンと一体化し「システムを海外輸出し、アジア共通の基盤をつくる」と意気込んでいるそうで、見据える先にはエストニアの現在そのものがあります。
合理化が進む過程で、士業に限らず数多の業界が淘汰されそうです。システムやセキュリティなど機械が絡む限られた数の業界だけ拡大し、マンパワーの居場所は職人技やクリエイティブの仕事などに限られていくことは間違いないでしょう。
既にコンピューターに職を奪われ始めている私たちの行き着く未来には何が待っているのでしょうか。2045年、コンピューターの頭脳は人間の頭脳を超えるのではないかと予測されています。スティーヴン・ホーキング氏やビル・ゲイツ氏、イーロン・マスク氏ら著名な物理学者や実業家が一様に警鐘を鳴らすこの「AIの脅威」(Artificial Intelligence、人工知能)により、AIがAIを大量生産する時代がもし訪れれば、ビッグデータに個人情報を委ねた私たちの情報インフラがAIに完全に握られるSF映画のような悲劇もないとは言えないでしょう。
マイナンバーによる一元管理は究極の合理化・効率化につながると同時に、究極のコンピューター依存への一歩でもあり、今はまだ空想上の危機に対して、いつか対策が必要となる日が来るのかもしれません。
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