映画を「好き」だけで語れるものに―「キノ・イグルー」の原点 (2017/12/21 70seeds)
全国のカフェ・美術館・無人島など様々な空間で、映画を上映しているキノ・イグルーは2003年に有坂塁さん、渡辺順也さんによって立ち上げられた移動映画館だ。
最近では野外上映だけでなく、1対1でお話をしてその人に合う映画をセレクトする「あなたのために映画をえらびます。」や、インスタグラムで毎朝、今日の一本を紹介する「ねおきシネマ」といった映画の魅力を伝えるため幅広い活動を展開している。
だが、昨今NetFlixやHuluなどネットさえあればいつでも、好きなだけ映画やドラマを観られる環境になった。レンタルDVDも1作100円で借りられる時代だ。
映画を見ることに対するハードルは下がり、映画を観るということの価値が薄れてきている中、キノ・イグルーが「上映会」にこだわる理由はどこにあるのだろうか。
今回は立ち上げ者の1人である有坂塁さんにキノ・イグルー立ち上げ前から、現在に至るまでのストーリーや映画を上映するうえで大切にしている想いについて伺った。
サッカーから映画への転身
映画を生業にする有坂さんが19歳になるまでに観たことがある映画は2本だけだったという。
当時サッカーにのめり込んでいた有坂さんに転機が訪れたのは21歳のとき。Jリーグのテストを受けるも不合格。今後何をしようかと考えていたときに、ふと映画の道に進むことが頭をよぎった。
「僕にとってはすごく大きな決断だったんです。周囲の友達に映画の方に進んでみると言ったら、『お前がサッカーから離れるなんて』とショックを受けるぐらいサッカーしかやっていませんでしたから」
そこからまず、有坂さんはビデオ屋さんでアルバイトを始めた。映画好きの友達が欲しかったのと、応募したビデオ屋さんの売り場に熱意を感じたからだという。アルバイトを続け、経験を積んでいくと売り場づくりを任されるようになった。
「自分のフィルターを通して、違う価値を与えることの喜びはその時に感じていました。例えばそれまで『ヒューマンドラマ』のコーナーにあった映画を『ヨーロッパの子どもたちが印象的な映画』みたいな枠で売り場をつくると、違う価値が生まれますからね」
キノ・イグルー立ち上げのきっかけとなったのは28歳のとき。バイト仲間が東京のはずれに小さな映画館をオープンさせた。有坂さんはそこで初めての自主上映会を開催した。これがキノ・イグルーの始まりだ。
「フランスのシネクラブ*という文化に憧れがあったんです。主催者の感覚に共感した人がお客さんとして来てくれる文化が素敵だと思っていました。自分でもやってみたいとバイト中によく言ってましたね」
映画館だけでなく野外でも上映するようになったのは、お客さんとして来てくれたカフェのオーナーやギャラリーの方から、「ウチでもやってほしい」という要望を受けるようになったからだった。キノイグルーが忙しくなってきた段階でアルバイトを辞め、キノ・イグルーの活動を中心とした生活へと舵を切った。
*シネクラブ:特定の関心を持って映画を上映すること。主催する人によって色が出る。
映画をもっと開放したかった。映画の外側に価値を突き詰める。
キノ・イグルーにはある目標がある。そのきっかけとなったのは、有坂さんがビデオ屋でアルバイトをしているときに起きたある出来事だった。
先輩に好きな映画を聞かれた新人が自分の好きな映画を言うと、映画に対して知識が豊富な先輩がその映画を否定。それによって映画に対する自信を失った新人は、バイトを辞めてしまった。
「そのとき、映画を知識のある人たちだけのものにはしたくないと思ったんです。好きな映画の話をすることって楽しいことで、誰でも映画について話せるような空気にしたかった。だから、映画好きだけでなく、いろいろな人に映画をもっと開放することを目標に掲げました」
実際にキノ・イグルーでは作品だけではなく、空間や雰囲気、行ってみないとわからないというような、ワクワクするイベントをメインに据えていることが多い。
例えば、毎年年始には「初笑い上映会」というイベントを開いている。神楽坂のおまんじゅう屋で、おまんじゅうを食べながら映画を観るといった上映会だ。会場には猫がいたりと比較的ゆるい中、小津安二郎*の映画を見たそうだ。小津安二郎を知らなくても、行ってみたくなるようなユニークなイベントとなっている。
*小津安二郎:日本の映画監督、脚本家。「小津調」と称される映像美は世界でも高い評価を得ている。
有坂さんは上映する上で、映画の外側にある価値をとことん突き詰めることに重きをおいている。
「ぼくは映画というのは、フィルムの時代もデジタル化された現在も、さまざまなプロフェッショナルが集まって、本気でぶつかり合った"想いの結晶"だと思っています。ただそれが完成するとデータになってしまう。映画館であれば監督の想いを忠実に再現させられますが、ぼくらは違う。それは、場所だったり、そこでのサービスだったり、働いている人の熱量だったり、そういうもので特別な時間になる。さらに行ってみないとわからないという余白を残すようにしています」
それゆえ、キノ・イグルーでの映画は映画好き以外でも楽しめるようになっている。上野の博物館での上映では約6000人が集まったという。また横須賀美術館での上映会は毎年開催しており、多くのファンがついている。
環境で左右される一度きりの上映だからこその体験
キノ・イグルーは今まで約1000回を超える上映会を開催してきた。
その中で印象に残っているのは、今年の恵比寿ガーデンプレイスで12日間12作品を日替わりでした野外上映会「ピクニックシネマ」だという。
「雨に唄えば*」という作品を上映した日は途中土砂降りになった。会場には屋根があったが、雨が吹き込み、機材やお客さんもずぶ濡れになり始めてきたという。さすがにまずいと思い、途中中断したが誰一人お客さんは帰らなかった。
「お客さんに大丈夫ですかと聞いたら、『作品だけにもう濡れてなんぼですよ』と言われて。この環境で、この映画を見られる高揚感がすごくあったんですよ。しかし、施設的にも何か問題があったらいけないですけど、スタッフの人とも信頼感があって『もう任せます』って言われた。そのあと、やろうと言ったときに起きた拍手がすごかった」
「雨に唄えば」の内容と土砂降りの状況がシンクロし奇跡の上映会となった。この映画を再び見るときには、その時の状況を思い出すだろう。1本100円でレンタルできる映画を、これだけの思いでみんなで共有できることは特別すぎる体験になったという。
*雨に唄えば:1952年公開アメリカのミュージカル映画。
「キノ・イグルーは2人」の理由
立ち上げ当初から有坂塁さん、中学の同級生だった渡辺順也さんの2人で活動している。最初のころは役割があり、企画の部分は有坂さんが考え、現実的なお金の部分は渡辺さんが担当していた。しかし全体を考えていくうえで、有坂さんが全部担当することで企画としての鮮度、スピード感を保つことを重視し、現在は1人ですべてを担っている。
さらに渡辺さんは他の仕事をしており、活動を手伝えるのは週末だけだという。しかし、有坂さんが「キノ・イグルーは2人」だと言うのには理由がある。
「渡辺は気持ちを共有できる相手なんですよね。今日のイベントよかったねとか。彼は安定感があって、気持ちが安定できる大きな存在というか。その存在があるからのびのびやっているように感じます」
大企業、行政などからの上映依頼も多いキノ・イグルー、どれだけ忙しくてもメンバーを増やさないことにはほかにも理由があった。
それは自分の意志で決断ができることだという。仮に法人化して、お金を払うようになってくるととるべき決断が変わってくる。しかし、2人だとフットワーク軽く、たとえお金にならないことでも面白いと思った方向に舵を切ることができる。
「前にお金のない学生が『上映したいんです』って言ってきてくれて、会って話したら、センスもいいし絶対やりたいっていうことに自分の意志で乗っかれるんですよね。その子との仕事は今までとは違う感覚が得られますし、長い目でみてもプラスの経験じゃないですか」
「上映しない映画イベント」の可能性
映画を上映すること以外にも有坂さんは映画の魅力を伝えるために、幅広い活動をしている。その中の一つに「あなたのために映画をえらびます。」というものがある。これは1人1時間対面で、お話をしてその人にあった映画を5本セレクトする、いわば映画のカウンセリングを行っている。
有坂さんは映画はタイミングが大事だという。
「僕の転機になった映画は『クールランニング*』。この映画のストーリーとサッカーをやっていた時の自分の状況が重なって感情移入もしやすく、当時の自分好みの映画だった。だけどほかの人に『クールランニング』は人生変わるから観て、とは言えない。それは僕がそのタイミングだったわけで、同じ映画でも見る人のタイミングで価値が変わるんです」
だから、一時間のカウンセリングの中でその人の趣味嗜好、タイミングに合った映画を選んでいる。カウンセリングを受けた人は、5本の映画を好き嫌いだけで観ないで、もう1回観てみよう、角度を変えて観てみようと、大事な5本になるそうだ。
「映画を上映すること以外にも、映画の魅力を伝える活動に可能性を感じている」
と語ってくれた有坂さんの笑顔を見て、もっと映画を好きになれそうな気がした。
*クールランニング:1993年公開のボブスレーを題材にしたアメリカ映画。
◇ ◇
【取材を終えて】
取材終わりに、好きな映画を書いてもらってもいいですかとノートを差し出された。そのノートには、これまで出会ってきた人の好きな映画がびっしりと書かれていた。一人たりとも同じ映画が書かれていないということに驚きを得た。
本文中にも述べたが、映画というものはその人のタイミングによって面白いと感じるのが違うということを改めてこのノートを見て思った。自分が面白いと思った映画もタイミングが違えば、まったく違うように感じるのだろうか。今の自分に合った映画は何か知りたくなった。
- WRITER
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高木健太
1995年北海道生まれ。旅行と銭湯、映画が好き。
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