史上初、女性ねぶた師の奮闘! 地方で輝く女性たち (2016/12/19 nezas)
東北三大祭の一つである「青森ねぶた祭」の主役ともいえるのが、毎年さまざまなテーマで制作される巨大な山車「ねぶた」です。明かりが灯されたねぶたの勇壮な姿が現れると、あたりには歓声が響き、祭りは一瞬にして熱気に包まれます。
この「ねぶた」の構想から制作までを手掛けるのが「ねぶた師」です。これまで300年あまり、男性のみが名を連ねてきた伝統のなかで、史上初の女性ねぶた師が誕生しています。現在、子育てをしながらねぶた師として活躍している北村麻子さんです。
今回は、地方で活躍する女性にスポットをあて、その輝く生き方を紹介します。
「青森ねぶた」は地元住民にとって特別なもの
「青森ねぶた祭」は青森市で毎年8月2日から7日の6日間開催されます。約300年の歴史があり、現在は250万人以上が訪れる日本有数のお祭りです。地元では一年かけて準備を整え、祭りの6日間に熱い魂を注ぎ込んでいます。
祭りのムードを一気に盛り上げるのが、夏の夜を照らす威風堂々たる「ねぶた」です。台車も含めると高さ約5メートル、幅9メートル、奥行き7メートルが最大となり、重さは4トンにも及びます。祭りには毎年20台ほどのねぶたが出品され、太鼓や笛のねぶた囃子、そして「ラッセラー、ラッセラー」の掛け声にのって跳ね歩く跳人(踊り子)とともに、町を練り歩きます。
ねぶたは、地元住民にとって「誇り」ともいえる特別なものです。ねぶた師は、祭りが終わった直後から次の構想を練りはじめ、下絵、骨組み、色付けまで一年間かけて制作するのが仕事です。しかし、およそ300年続く伝統のなかで、雄々しい題材を描くことや力仕事が必要となるねぶた師の仕事は、男性がやるものとされてきました。この歴史に、女性として初めて名を連ねたのが北村麻子さんです。
「父のねぶたを終わらせたくない」。その思いが新たな歴史の一歩に
麻子さんがねぶた師を目指したきっかけは、父であり、ねぶた師である北村隆さんの影響だったといいます。隆さんは、ねぶた師のなかでも極めて優れた技術を有する人に与えられる称号「6代目ねぶた名人」を有し、現在も国内外で高い評価を得ています。
麻子さんがねぶた師になると決意したのは2007年のことです。それまでは、ねぶた師になろうと考えたことはなかったと話しています。
転機となったのは、2007年に隆さんが制作した『聖人・聖徳太子』を見たときだといいます。このとき世の中は不景気で、ねぶたの制作依頼が減り、父である隆さんは体調も崩されていたそうです。そんななかで作られた父の作品の力強さに心を打たれ、「父のねぶたを絶やしてはいけない」という思いを強め、麻子さんは新たな歴史の一歩を踏み出しました。同作品は、ねぶた制作の評価に加え、お囃子や跳人を含めて総合的に最も優れているとされる「ねぶた大賞」を受賞しました。
隆さんに弟子入りして修業を始めた麻子さんですが、簡単には仕事をさせてもらえなかったと振り返ります。女性の前例がない世界で認めてもらうというハードルは、思っている以上に高かったのです。麻子さんは、技術を目で盗み、いつ仕事を命じられてもできるよう準備を整えながら、3年目にようやく少しずつ仕事を任せてもらえるようになったそうです。
デビュー作で優秀制作者賞受賞
麻子さんに青森市民ねぶた実行委員会から大型ねぶたの依頼が入ったのは、麻子さんがねぶた師になって4年目となる2012年のことでした。デビュー作となった『琢鹿(たくろく)の戦い』は、優秀制作者賞を受賞し、女性ねぶた師として一躍注目を集めました。
その後、2015年の『平将門と執金剛神』で優秀制作者賞と観光コンベンション賞を受賞、2016年には『陰陽師、妖怪退治』で優秀制作者賞と商工会議所会頭賞を受賞しています。
大型ねぶた制作5作品目となった2016年は、正面に陰陽師、背面には化け猫と子供たちのユニークな姿を表現するなど、独自の感性が高く評価されました。「ねぶたは観客に楽しんでもらうことが重要」と話す、麻子さんならではの視点が存分に生かされた作品といえるでしょう。
地域の「誇り」を継承する伝統に、新たな風を起こした麻子さん。青森の未来に引き継がれていく仕事に、ますます期待がかかります。
提供:nezas
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