[沖縄・中城村]沖縄戦調査ノート 美化を拒む「ただ伝える」語りの記録 (2019/8/12 マイ広報紙)
この記事は「広報なかぐすく 2019年8月号『沖縄戦調査ノート その6』」を紹介し、コメントしたものです。
今年も終戦記念日がやってきます。この日を迎えるたびに私は、ラジオの前にすっくと立つ祖父の姿を思い浮かべます。この光景はもちろん、戦後に生まれた私が実際に目にしたものでありません。母から伝え聞いた、当時小学生だった母が見たという終戦の日の光景です。真っ青な空と、やってきた平和…。まるで一枚の絵はがきのように再生された祖父の姿を、私が平成生まれの子どもたちに語る時、母は寂しそうに笑います。戦争は語り継がれる中で、美化されるものだと。
沖縄県中城村の広報紙『広報なかぐすく』には、不定期に「沖縄戦調査ノート」が連載されています。戦争を知る世代が次第に少なくなる中で、かの時代を生きた人々の生の証言が記されています。
2019年8月号には、「戦争にまつわる不思議な体験」が語られていました。2才の息子を抱いて逃げた壕で、「あんたの子ども一人の為に、沢山の人が亡くなるよ。出なさい」と外に追い出された時、中国の戦場へ行ったはずの夫がはっきり見え、「神様になって、いつもそばに居るんだね」と思ったという話。「私の家族の遺骨は、父が夢を見て掘りあてた」という人は、夢にでてきたお告げ通りに土を掘り返してみると、「私の姉妹と祖父と叔母の遺骨」が砲弾を受けたままの姿で埋まっていた…など。
ただ“不思議な話”として語られた物語ですが、その背後には、戦争がもたらした悲惨さが、むき出しのまま語られています。2歳の子どもと母を壕から追い出した人、一瞬にして命を奪われた家族が「姉妹と祖父と叔母」で肩を寄せ合って生活していたこと…。すべて普通の人の、戦争中のそのままの姿です。
私が、母から伝え聞いた戦争体験を、私の子どもたちに伝えようとするとストーリーとして再構成して語ります。しかし、体験を実際に体験した人が語る時、話の背後にある、一見、ストーリーに関係のないような背景が突如浮かび上がってきます。さまざまな装飾品で美しく彩られたものではない、真実の姿がそこに見え隠れしてくるのです。
戦争の体験を真実のまま「ただ伝える」ことは難しいものです。中城村では平成28年からこれまでに、200人以上の方々から戦争体験を直接聴き、こうして記事にされているとのこと。戦後74年。今なお「ただ伝える」ために記録し続けることに、大きな歴史的な意義を感じます。
- [筆者]「子供のお金教育を考える会」代表、文部科学省消費者教育アドバイザー、神奈川県消費生活審議会委員、経済教育学会理事 あんびるえつこ
- [参考]広報なかぐすく 2019年8月号
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