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声なき声を世界に ふくしま会議2011 開催レポート

2日目 分科会 4つのテーマ、各会場で活発な議論

2日目は、子どものいのち、放射能、自然・再生可能エネルギー、市民参加といったテーマに分かれ、有識者と住民による対話が福島大学の各会場で行われた。
各会場の様子は、Ustreamで有志による中継が行われ、そのアーカイブを見ることができる。そのリンクを「Movieを見る」として各会の文末に記載してある。

いのち 子どもの今 そして未来へ

「いのち 子どもの今 そして未来へ」では、事故後の放射能と子どもの話がなされた。線量の高い地域で子育てをせざるをえない母親の苦悩や、外で遊ばせることができず屋内待機のような状態を不安に思う声、避難をしたくても子どもから「行きたくない」と言われて出来ない状況などが語られた。
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放射能と向き合う

「放射能と向き合う」では、放射能や除染をテーマとした話やチェルノブイリの事例を研究するためにベラルーシで研修を行った清水福島大副学長による現地報告もなされた。
この会は特に熱心な参加者が多く、終了予定時間を過ぎても活発な議論が行われた。
なお、この分科会の冒頭に行われた、放射性物質による汚染について説明を行っている26分ほどの動画を以下に掲載しているので参考にしてほしい。
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自然・再生可能エネルギー

「自然・再生可能エネルギー」では、東之弘いわき明星大教授による基調講演「福島における自然エネルギーの現状と将来の可能性」が行われた。
そのあと、国立環境研究所の藤野純一主任研究員をコーディネーターに、大学や研究所の研究者を中心をパネリストとしたパネルディスカッションが2時間にわたって行われた。
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市民活動の現場から

「市民活動の現場から」では、NPO法人ふくしまNPOネットワークセンターやNPO法人シャロームなど、NPO関係者をパネリストとして意見交換がなされ、被災者への支援活動をするさいに、住民の情報が「個人情報」として自治体から取得しづらいことが、活動のやりづらさに繋がっている現状などが報告された。
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ふくしま会議2日目 分科会の模様

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2日目 若もの会議 震災後へ向けて学生たちの声を

別会場で行われた若もの会議では、若者の震災後の経験に焦点をあて、学生らしい工夫をこらした議論が行われた。

第一部「ふりかえる」では震災直後のことをふせんに書いてそれぞれ共有し、第二部「ふりかえる&ふれあう」で関心のあるテーマごとに分かれグループディスカッションを行い、第三部「ふれあう&ふみだす」では、グループメンバーを次々に変えて、福島の今後について若者、会場参加者それぞれが語り合った。
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8月からこの会議に関わっている、若もの会議運営委員長で福島大大学院生の木村義彦さんは、「いま同世代の人が何を思っているのか」を聞き出したいと思い、この会議を企画したという。
今後は、メーリングリストを作りネットワークを広げる運動や、SkypeやUstreamを使い同時に会議を行った同志社大学の学生と再度、若もの会議を行いたいと語った。

会の終盤には細野豪志原発相が訪れ、会議の成果を見学。

細野氏は阪神・淡路大震災の復興に関わった自身の経験にふれ、「(福島の復興に)政治家としてすべての力をかけてやる」と決意を表明した。

会場から突如、原発再稼働の是非について問いただす声が出たが、「原発に対するみなさんの気持ちは受け止める」と述べるにとどめた。

ふくしま会議2日目 若もの会議の模様

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若もの会議について ~学生からの声

(11.30追記)若もの会議で司会をつとめた福島大学大学院生の遠藤さんに、会の意義や感想をメールで伺った。

「明日をどう生きればいいか」、次の一歩を踏み出すために

福島大学大学院2年 遠藤章弘(えんどう あきひろ)

私がふくしま会議と若もの会議に関わったきっかけは、震災から5ヵ月後の8月頃、同じ大学院研究科の同級生である若もの会議の運営委員長に誘われてのことでした。
ふくしま会議では世帯、コミュニティ、地域で起き始めている「分断」を乗り越えるということが1つのテーマであったと認識していますが、若もの会議のコンセプトもそれが根底にありました。
ただ、若ものの立場では「分断」という言葉よりもっとなじむような言葉・コンセプトがあるのではないかという思いがあり、若ものなりの「ふくしま会議」がしたいと思いました。これは若もの会議に関わるみなさんの中でも当初から共有されていたと思っています。

若もの会議のコンセプトは、「参加者一人ひとりにとっての一歩を踏み出すきっかけをつくること」、そのために「人と人がつながること」です。このコンセプトは次の2つの考えからの出来上がったと思っています。

1つは、「自分はどのように明日を、将来を生きていけばいいのだろうか」という個人の日常レベルの問にどのように対応するのかということであり、多くの若ものが抱えている想いです。福島でもそうですが、東京に足を運んだ時、いわゆる大人や学生と話をすると「福島の学生は脱原発の運動とか何かアクションしないの?」と言われることが良くありました。もちろんそういった運動・活動にとりくまれている若ものも大勢いるとは思いますが、そういった活動をしたくてもできない人、しようというレベルまで思いを整理できない人の方が多いと思うのです。そもそも活動することが今誰にとっても正解だというようには思いません。外に何か発信することも非常に大事なことですが、その前に、自分の想いにきちんと向き合うという作業も必要ではないでしょうか。

もう1つは、自分なりの一歩をふみだすには、1人では困難だということです。震災後から抱え続けている現在、未来への不安・深い悲しみや心の傷・得体の知れない欲求不満からどこにぶつけていいかわからない怒り・平常どおりの生活を強いられているような雰囲気への違和感・何かしたいけど何をしたらいいかわからないというもどかしさ。この間、いろんな学生・友人その他の様々な方々と出会いましたが、こういった想いを抱える若ものが多いのが今の福島の現状だと思いますし、自分自身もそうです。

次の一歩をふみだす、あるいは、そもそもふみださずとも、自分の抱える想い・境遇に向き合うためには、話を聞いてくれる人が必要です。お互いの不安・悩みを聞き、受け止め、共有できる人が今ほど求められている時はないように感じます。そして、若もの会議ではこの2つを受け止められる場となり、その姿を発信しようと私たちは考えました。

「ふりかえる」・「ふりむく」・「ふみだす」。
3月11日から今までの自分の経験に「ふりむく」だけでなく、参加者の体験にも「ふりむき」共有することで、自分なりの一歩を「ふみだす」。若もの会議は、3つの「ふ」をプログラムの進行の骨組みとして8時間にも及び開催されました。参加者は浜・中・会津の各地域及び全国の若ものが参加し、会の後半からは一般の方にも参加していただきました。
そこでは実に多様な個人の経験からくる想い・意見が交換されていました。家族と離れて1人放射線量の低い地域へ避難したことへの心の葛藤を涙ながらに打ち明けてくれた女性の想い。原発事故により家を奪われたことを悲しい顔をせずに語り、そこから立ち上がろうとする学生の意志。そういった話を聞いて福島のことを少しでも知ることができてよかったという県外の学生の声など、一人ひとりにとって若もの会議が意味のあるものになったのではないかと思います。

会のまとめでは、発言したほとんどの方から、「今回のつながりをこれからも持続させたい」「1人では勇気が持てなかったから、みんなとつながれてよかった」という想いを語ってくれました。若もの会議は今回できたつながりを大切にして、これからも若ものの素直な想いに寄り添ったとりくみを多くの方とつくり上げていければと考えています。

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