第一部
共同代表をつとめる作家で福聚寺住職の玄侑宗久氏の話から始まった全体会。
福島大学の教室に、県内外から約450人がかけつけ、福島の声を共有する「ふくしま会議」は休憩をはさんで4時間近くにもおよんだ。テレビや新聞など報道陣も多く、注目度の高さが伺えた。
共同代表の一人である赤坂憲雄学習院大教授らによる司会で、会場から多くの「福島」の声が引き出された。
第一部は、食の安全や子どもの安全など、住民生活に関連が深いテーマで主に議論が行われた。
福島県内の酪農業者、スーパー経営者、そして子どもを持つ母親、父親などが、事故後にそれぞれの立場で直面した状況について口々に語った。
放射能に対する住民の認識について、玄侑氏は「0ベクレルでないと安心できないというのはある種の異常だ。3.11以前の食物も0ベクレルではなかった」と述べた。
特に関心の高い食の安心について、石井慶造東北大教授の論文を引き合いに、「土に落ちた放射性セシウムは、粘土粒子と合体すると植物は吸い上げられなくなる。いま線量として出ているのは、3.11以前に空気中を飛んでいたものだ」と、安全性について言及した。
(参考:石井慶造「水洗浄による放射性セシウム汚染土壌の除染方法について」P.11 ※PDF)
また玄侑氏は、会の途中に出た「不確実性に対する過剰反応の正当性」(情報が不確かなものに対しては、防衛反応として過剰に反応することは正当な反応ではないのか)という言葉をとらえて、過剰反応自体に懸念を表明。
「過剰防衛を認めるというのは、半歩進めば『福島の人と結婚するな』ということになる。過剰ではなく正当を目指すべき」と、福島のものを意図的に避けるなどの過剰反応が、福島への差別につながるということを示した。
福島第一原子力発電所から近い浪江町の牧場で酪農を営んでいる男性からも意見が出た。
吉沢さんは、仮設住宅に避難しながら事故から半年以上たったいまでも、300頭の牛にえさをやり飼い続けている。
国や同業者にも殺処分を望まれたというが、「絶対に殺処分しない。原発事故の生きた証人として、被ばく研究の対象として牛を生かし続けたい」と語った。
ふくしま会議1日目 全体会 第一部の模様
第二部
第二部は、主に原発周辺地域の除染をテーマに議論がすすめられた。
飯館村の菅野典雄村長は、国の除染作業にまだ予算がついていないことに触れつつ、「除染はこの1〜2年が勝負だ。ここに投資して作業をしないと、人間の心が荒れていってしまう」と早期の除染を望む現地の声を代表して答えた。
環境大臣政務官の高山智司衆議は、除染作業の担当者として、「除染は国の責任で進めていきたい。将来的に追加の1ミリシーベルトまでやっていく。また、平成25年までに線量を現在の50%まで落としていきたいと考えている」と国の方針を説明。その上で、「現時点で予算は十分確保できていると思っているが、方法論が確立されておらず、人手が少ないという問題がある。今後、私のほうでしっかり進んで行くか管理していかないといけない」と具体的な作業の話には踏み込まなかった。
子どもを持つ男性から、「国の除染を待っていると子どもは被ばくしてしまう。前提として、まず子どもや妊婦は避難をさせるべきではないか」と国の対応の遅さを批判する声があった。
また、一人数千万円という高額な費用をかけて行う除染作業を望まない立場から「それだけの費用を使うなら、その費用の一部で他の場所に移住させてほしいと考える人もいる。除染をした土地に戻りたくない人もいるということを知ってほしい」という意見も出た。
会の最中、「除染はあくまで『濃縮移動』だ」という声が出ると、赤坂氏はこれを「隠されている最大の問題。放射能は除染で消えるわけではなく、消滅するには1万年くらいかかるのを待つしかない。福島はこれと対峙し続けなければならない」と放射能と継続的に付き合っていかねばならない福島の状況を指摘した。
赤坂氏は最後に、「福島に生きる人たちが必死に闘っている姿は、会を通じて日本中に確実に伝わった。今回の会議が新しい日本中、世界中のつながりの始まりになればいい」と述べ、計4時間にもおよぶ会を締めくくった。
ふくしま会議1日目 全体会 第二部の模様
会場から出た主な意見、声
<第一部>
・福島市内で酪農を営んでいるササキさん
「農民は農地が基礎。この福島という土地から逃げないで頑張りたい。いまは『負けてたまるか』という気持ち」
・スーパー経営 イトウさん
「お客さまから『福島の商品を買いたくない』と言われる。お客さまが安心して食べ物を食べるには、業界が情報を出し続けることではないか」
・子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク サトウさん
「3月、放射線量データを計測して、たった3人で県教育委員会へ『除染より子どもの避難を優先を』と申し入れした。5月には活動の幅を広げ、ネットワークを立ち上げた。これからもひとつひとつできることを私たちでやっていきたい」
・郡山市 ノグチさん
「市や教育委員会は安全だと言っているが、子どもたちは低線量のなか被ばくし続けている。『基準値以下だから安全』では、安心ができない。私たちは安心がほしい。国や東京電力、市にも誠意ある対応を望みます」
・南相馬市、つながろう南相馬 スタッフ タカムラさん
「南相馬のなかでも、『残らざるをえないお母さん』たちがたくさんいる。その人たちの声が届いていない。線量が高いとされている地域のお母さんに対し差別があり、分断が起きている。その人たちの心を守ってほしい」
・富山県避難者のメッセージ
「子どものことを考えると、自分には避難しかとるべき道がなかった。不確実な現実のなかで、過剰反応をとるのは正当では」
・白河市 タケイさん
「夏に子どもを連れて長野へサマーキャンプに行くと、『移住を考えた方がいい』と言われた。私は戻った。福島に残って、本当に安全かどうかを発信していかねばならない」
・Twitter
「福島で残らざるをえないお母さんだけじゃない。日本全国、東京で動けない私も同じ」
・チームともだち トノウチさん
「私が支援している漁師の方は、『どんなことがあってももう一度漁師をやる』と言っていた。酪農家のササキさんとつながる思いを感じる」
・三島町議 イガラシさん
「会津など、少しでも線量の低い場所へ子どもを受け入れられないかを模索している」
・子どもたちを放射能から守るネットワーク ヨシノさん
「お父さんも苦しんでいる。少しの間でも避難するだけでも子どもの体はきれいになる。全国の避難受け入れ先の方々を集めたサミットを2月11日に開催する予定」
・富山SAVE 福島チルドレン カワシマさん
「夏休みにホームステイなどで42家族182名の子どもを受け入れた。孤立しないためにコミュニティを作るのが重要。ぜひみなさんも」
・日本有機農業研究会 幹事(福島市大波) コイケさん
「少しでも放射能が出た野菜は流通させないようにしないと消費者に安心感は与えられない。また放射能が出ないよう工夫をしている農家は、最も外部被ばくしているのは問題では」
・浪江町 ヨシザワさん
「事故以来、300頭の牛を飼い続けている。国にも殺処分を求められたが、原発事故の生きた証人として、牛を生かし続けたい。なぜ浪江町がこんな情状況に置かれるのか。一生涯をかけて国、東電と戦い続ける」
・浪江町 トヨグチさん
「浪江町は被害甚大、避難も4市1町と散らばっている。個人情報の問題で住所を知ることができないなど、地域の絆を守ることが難しい」
・浪江町 馬場有町長
「政府、東電に一日も早い除染で元の生活に戻すことを訴えている」
・川内村 イデさん
「4月、地域を復興するために川内村に戻った。緊急時避難準備区域の解除で人が戻らず、コミュニティの崩壊によって逆に減っていったのをつぶさに見た。どうすれば再生できるのか、悩んでいる。復興のためできることをやっていく」
・南相馬市 イシダさん
「お年寄りは、生きる希望がないと言う。多くのご老人は、なぜ最後にこんな目に、という思いを持っている。その方たちの人生を思うと、こんな哀しいことがあっていいのかと思う」
<第二部>
・飯館村 菅野典雄村長
「まず日本は、放射能について勉強してこなかった。反省しなくてはならない。除染は、この1〜2年が勝負だ。ここに投資して作業をしないと、人間の心が荒れていってしまう」
・南相馬市 桜井勝延市長
「国と一緒に解決したいが、国を待っていられない。南相馬市は自ら動いていきます。除染をし、自然を取り戻していきます」
・二本松市 セキさん
「言わせてください。子どもの避難のことで悩んでいる。除染をする前に、緊急度と重要度を考えてやるべき。除染を待っていたら子どもたちは被ばくする。前提として、子どもと妊婦を避難させるべきではないか」
・浪江町 男性
「除染が済んだらそこに戻るのか。除染を望まない人がいるということも知ってほしい。6000人の村で3000億円の除染費用がかかる。避難している身としては、その費用の一部を他の場所への移住ができる選択肢があるといい」
・二本松市の会社経営者
「国や自治体は民間と違って、スピード感がない。リーダーシップがない。解決能力がない。もっと具体的に作業をやっていかないといけない」
・郡山市の女性
「実家が福島第二原発の近くで、その土地が原発の恩恵を受けたのを見てきた。今は東電に裏切られた気持ちでいっぱい。今日、東電や国の姿がないのが残念」
・桜の聖母短期大学 オノデラさん
「福島市は線量が高いですが、私たちは福島で学びたい。福島をよくしていこうという活動をする学生に注目してほしいし、もっと学生の声を聞いてもらいたい」
・福島大院生 キムラさん
「震災以来の8か月、本当に辛かった。こういった気持ちをみんなでもっと分かち合って、小さな一歩を踏み出す、そういった気持ちでこれからも活動しようと思う」