通信傍受 (2016/2/2 法、納得!どっとこむ)
再度東京でオリンピックが開催されることや、世界的にテロ事件が発生していることからして、組織犯罪などに対する通信傍受が問題となっている。
今回はその通信傍受のことである。
警察の活動は、大きく分けて、行政警察活動と司法警察活動とがある。
行政警察活動とは、一般的な防犯といったような、犯罪が現実に発生したと警察が考えていないことを前提とするもので、例えば、職務質問とか、交通検問や警戒検問という自動車検問活動をいう。
これに対して、司法警察活動とは、犯罪があったと警察が考えたことを前提とした活動であって、簡単にいえば捜査活動を意味する。
もっとも、司法警察活動と行政警察活動を厳然と区別することは難しい。
行政警察活動は、行政権の行使であって、憲法31条が規定する適正手続の保障が及ぶとされてはいるものの、その多義性や広汎性からして、具体的な捜査活動とは異なるものであり、例えば、裁判官による令状審査が及ばない。
そこで、行政警察活動においては、人権侵害とならないような格別の配慮が求められることとなる。職務質問における実力行使がどの程度許されるのかといった議論がなされるのは、格別の配慮の程度問題の典型である。
つまり、行政警察活動にせよ、司法警察活動にせよ、国民の基本的人権を侵害することはできず、それが許されるのは、現行犯逮捕などの例外を除けば、中立で第三者としての立場にある裁判官が、逮捕状とか捜索差押令状を発布した場合だけなのである。
先だってのパリ同時多発テロを契機として、テロ防止やテロ組織の摘発・取締りのための活動、特に通信傍受がクローズアップされている。
この通信傍受も、上記の警察活動の態様によって、「行政傍受」と「司法傍受」に分類される。
「司法傍受」については、既に日本でも認められており、通信傍受法が制定されている。現在の通信傍受法自体にも違憲ではないかとの見解も多いが、それはさておき、行政傍受について書いていく。
先に、国民の基本的人権を侵害することが許されるのは、原則として裁判官が令状を発布した場合だけであると書いた。
そして、それは、司法警察活動に対してなされるものであるから、行政警察活動に対しては中立第三者的立場にある者からの抑制はなされていないのである。
つまり、行政傍受については、野放し状態になるのではないかとの危惧がつきまとうのである。仮に、行政傍受についても、何らかの抑制が働くとしても、行政傍受という性質からすれば、秘密裡にかつ迅速に行う必要があるのだろうから、令状発布といった裁判官による抑制ということはおそらく考えられず(令状発布によって通信がなされなくなり傍受は不可能になるから)、お手盛りの他の行政機関による抑制しか方途はないだろうと思う。
このように考えてくると、現代社会がテロの脅威にさらされているとはいっても、行政傍受を導入することには懐疑的にならざるを得ない。
この点について、世間の常識とかけ離れているとの指摘もある。
しかし、だからといって、通信の秘密という最も価値のある基本的な人権が、行政権によって、無制約に侵害されてもよいとか、国民はそれを甘受すべきだというのは、やはり暴論ではなかろうか。