【早大マニフェスト研究所連載/マニフェスト学校~政治山出張講座~】
第7回マニフェスト大賞応募スタート特別企画「審査委員インタビュー連載」
マニフェストの課題と可能性 ~善政競争は地域から~
北川正恭・審査委員長(2012/06/28 早大マニフェスト研究所)
政治山では、ローカル・マニフェストによって地域から政治を変える活動を行っている「早稲田大学マニフェスト研究所」(所長:北川正恭早大大学院教授)と連携し、「議会改革」と「マニフェスト」をテーマに連載しています。マニフェストをテーマとした連載「マニフェスト学校~政治山出張講座~」では、議員・首長などのマニフェスト活用の最新事例をもとに、マニフェスト型政治の課題や可能性について考えていきます。
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地方政治の先進的な取り組みを表彰する「第7回マニフェスト大賞」の応募期間が7月2日にスタートする。応募は8月末までとなり、その後は審査委員会の審査を経て、11月2日に東京都港区の六本木ヒルズで行われる授賞式で受賞作が表彰される。
政権交代後の民主党の政権運営により、有権者の間でマニフェストが信頼を失っている状況のなか、マニフェストの意義や地方政治への導入の現状について、同大賞審査委員長でマニフェストの提唱者でもある北川正恭早大大学院教授にインタビューした。
――政府は、消費税増税を含む社会保障と税の一体改革関連法案を26日、衆院本会議で可決した。これに対し、「マニフェスト違反」との声が高まっているが。
北川 野田総理は、明らかにマニフェスト違反をした。しかし、野田総理が退路を断って今回の決断をしたことは評価している。退路を断ったときこそ強さを発揮するのがトップリーダーだ。その最たるものが、総理大臣である。野田総理は、細かな言い訳をするのではなく、「マニフェスト違反をした」と、ストレートに素直に謝罪するべきだ。そのうえで、総理としての決意を国民に説明する責任がある。そうでないと、延長国会も色々とつつかれてガタガタしてしまうだろう。
トップリーダーの役割には、これまで決めてきたことで違うと思ったら、思い切って場面転換をしたり、決断をしたりするミッションもある。今回の国会の動きは大きな話題となったが、本来、政治とはこういうものである。今は、大阪維新の橋下市長などさまざまな動きが地域から出て、国会も既存勢力が安定政党でなくなってきた。緊張感が今までと違う。その中で、民主党は、国民に嫌われても法案を通すという、政権与党の責任を果たしたとも言える。
――2009年に民主党が掲げた衆院選マニフェストについて。
北川 実行できないマニフェストが批判を受けることは、民主主義の成長のためによいことだ。それにしても、民主党のマニフェスト運営は不慣れだったことは認めざるを得ない。政治はガバナンスであり、理想も理論も掲げないといけないが、日常のアナログな政治術も覚えないといけない。民主党は、これで全てをさらけ出して、変わっていくきっかけになればいい。
ただ、民主党が政権交代できた大きな理由は、やはりマニフェストだったと思う。従来の白紙委任の選挙ではなく、政策を体系立てて掲げ、メディアやお茶の間でも政策が大きな話題となった。ただし、民主党政権のマニフェストには、作成過程や運営手法に多くの課題があって、これを教訓にして体制を見直し、説明責任を果たしていけば、進化していけると思う。
今回のことで、マニフェストの信頼が落ちたことは否めない。地域からもう一度、政策本位の選挙と政治を発信していくことが必要だ。その意味でも、「地域から率先して善政を行い、国を変えていこう」というマニフェスト大賞には大きな意義がある。マニフェスト大賞への応募件数は、第1回の221件から第7回の1670件まで毎年右肩上がりで増加しているが、まだまだ発展途上にあると言っていい。
――マニフェストの意義について。
北川 きちんとした代議制の民主主義を機能させるには、有権者と候補者の契約が必要だ。これまでの選挙では、地縁・血縁で選ばれていて、後で検証可能な、きちんとした選挙公約がなかった。「マニフェスト」という言葉はともかく「選挙で約束をして実行する」というのが重要なことに変わりはない。
――2003年、マニフェスト運動の始まりはどのようなものだったのか。
北川 私がマニフェストを提唱したとき、まず、順序を考えた。国政は議員内閣制で多数の議員が納得しないと駄目だが、地方は首長1人が覚悟すれば、マニフェスト選挙が始められる。そこで、2003年当時に知事仲間にお願いした結果、同じ年の統一地方選挙からマニフェストを掲げる知事選候補者が現れた。そして、ローカルでマニフェスト運動が爆発して、同年11月の総選挙では国政でもマニフェストが導入された。その後、流行語大賞にもなって、マニフェストが定着していった。
――当時、マニフェストを導入するには大きな抵抗があったのでは。
北川 大きな抵抗があったというより、最初はそれ以前の問題だった。「マニフェストって何? 食べられるのか?」と言う人もいた(笑)。
2003年にマニフェストを書くことをお願いしたときに、ほとんどの知事が「国の予算が決まってからでなければ書けるわけがない」と言った。それなら、自治体の部長が知事の代わりをすればいい話で、知事には地域独自の政治はできないということだ。だが、実際には14人の候補者が書いてくれて、国政でも導入されてマニフェスト選挙が花開いた。これまで順調に成長してきたわけではないが、ローカルで量も質も充実をさせようと地道な実績を積んできた。2006年に始まったマニフェスト大賞には、そうした挑戦の軌跡がある。
――大阪など、地域政党独自の政策も出てきていることについては。
北川 大阪や名古屋の市長など、自立型の首長がたくさん出てきたのは、地方分権が進む歴史の中では必然のこと。分権が進むと、地域独自の政策を持つ地域政党が生まれる。そうすると、自分たちの地域のあり方をマニフェストに書かざるを得ない。こうした試行錯誤の動きが全国に波及して行って、国を変えていく。この流れは止まらないだろう。
分権は、政治的にも法律的にも、もう後戻りしない。1995年に地方分権推進法、2000年に地方分権一括法が施行され、最近では、地域主権改革の中で「国と地方の協議の場」が法定化された。義務付け・枠付けの見直し(注1)もあり、「自立に目覚めた自治体」と「居眠りしたままの自治体」ではどんどん差が開いていくだろう。
――マニフェスト大賞の審査で重視している点は。
北川 マニフェストは、選挙のときだけの道具ではない。マニフェスト大賞の審査では、地域性を生かした政策の独自性もみるが、PLAN(計画)、DO(実行)、CHECK(検証)、ACTION(改善)のサイクルに結び付くシステムをつくっているかが重要なポイントになる。
また、マニフェスト大賞は、マニフェストに限らず、さまざまな賞を設けている。アイデアあふれる政策や、新しい有権者とのコミュニケーション手法、市民団体による取り組みなど、よい事例があればどんどん応募してほしい。
――最後に、全国の首長・議員に対しメッセージを。
北川 「地域から善政競争をして、国を変えていこう」とマニフェスト大賞を始め、応募件数は7年間で1670件まで伸びた。よい政策を共有することで、「あの地域でもやれるのだから、私たちの地域でもやってみよう」と、全国の首長・議員が感動・共鳴して善政競争が起こっている。私たちは、マニフェスト大賞受賞の先進事例を学ぶ研修会も行っているし、今後、こうした動きはどんどん拡がりを見せていくだろう。
「国から地域を変えてもらう」という受け身の発想をやめ、地方自ら変わっていく。そして、議会も執行部からではなく、議会から変わっていく。二元代表制で、首長と議員が互いに切磋琢磨し、全国の善政を勉強し合う。そうしたマニフェスト大賞の取り組みに、ぜひ参加してほしい。
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- 北川正恭(マニフェスト大賞審査委員長、早大大学院教授)
- 1944年生まれ。早稲田大学商学部卒業後、1972年三重県議会議員(3期)、1983年衆議院議員(4期)、1995年三重県知事当選(2期)。2003年退任後、早稲田大学大学院公共経営研究科教授、「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)共同代表。2004年早稲田大学マニフェスト研究所設立、所長に就任。2009年11月内閣府「地域主権戦略会議」委員に就任。
(注1)義務付け・枠付けの見直し……地方自治体が行う事務業務には、国が法令で事務の実施や方法を決めているものがあり、その制限を「義務付け・枠付け」と呼んでいる。これを見直しすることで、地方の自立的な自治体運営を進める狙いがある。[記事へ戻る]
- ■早大マニフェスト研究所とは
- 早稲田大学マニフェスト研究所(略称:マニ研、まにけん)。早稲田大学のプロジェクト研究機関として、2004年4月1日に設立。所長は、北川正恭(早大大学院教授、元三重県知事)。ローカル・マニフェストによって地域から新しい民主主義を創造することを目的とし、マニフェスト、議会改革、選挙事務改革、自治体人材マネジメントなどの調査・研究を行っている。