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【大村市長 園田裕史 #1】補助金は医師会ではなく市民に出すべき (2018/10/21 HOLG.jp

園田裕史 大村市長

園田裕史(そのだひろし) 経歴
昭和52年2月18日生。看護師として病院勤務を経て、2007年4月に 大村市議会議員選挙に初当選し、合計3回の当選を重ねる。2014年10月の大村市長選挙で落選するも、2015年11月の市長選挙で23,339票を獲得し当選。現在、大村市長として1期目。マニフェスト大賞を第3回、第6回で受賞。

――自身の過去の経験から既得権益者と対峙する機会が多く、またその弊害に疑問を持ち続けた大村市の園田裕史市長。しがらみのない政治を実現するためにどうすべきかを考え、議員時代から市民目線の行動をとり続けている。また、財政にも正面から向き合い、補助金のあり方から競艇事業まで幅広くその考えを伺った。

既得権者の力で行政運営が歪められる

加藤:以前の取材記事で既得権益者との関わりについて考えなければいけないというお話をされていて驚きました。現職の首長には勇気がいることだと思いますが、その危機意識はいつ頃からお感じになられていたんでしょうか。

園田市長:私は今41歳で、30歳の時に大村市議会議員になりました。当時西宮市議で、その後に市長となられた今村岳司さんや、流山市議の松野豊さんが活躍していたことが、自分が政治家への道を踏み出す大きなきっかけだったんです。そこで、いざ大村市の市議会議員になろうと思って議場に足を運んでみると、当時の多くの市議たちは自分を選出した選挙区にメリットのある話をすることが多かったんです。

 例えば、自分が大村市のA地区から選出されていたらA地区の話ばっかりずっとするんですよ。それは地域のために日々尽力されている町内会長さんの仕事であって、大村市議の仕事は、地域の事も大切ではあるが、主として市全体の話をすべきだと思ったんです。

 よく、有力者や既得権者の力で行政運営が歪められて、意味もない道路が作られたりすることがあるじゃないですか。やはりそれもおかしいと感じました。だから自分が仮にA地区から多くの票を取って議員になっても、「他の地区の優先度が高く、先にやる必要がある場合は、他を先に進めるべきだ」と公の場でも堂々とそれを言える議員になりたいと思いました。

大村市も赤字再建団体になるかもしれない

加藤:選挙はどう戦ったのでしょうか?

園田市長:既得権益と利益誘導ではない、大村市全体をみた大局的な政策提言と、しがらみのない政治の必要性を訴えました。また、それを理解してもらうために徹底的に市民との対話が必要であることも発信しました。

 また、自分が住んでいるところの選出だということは一切言わず、市内全体を自転車で広く回りながら街頭演説を繰り返し行い、チラシも他の議員の3~4倍の約20,000枚を市内全域に配りました。

加藤:当時、選挙におけるテーマみたいなものはあったのでしょうか?

園田市長:その時代に夕張市がああいう形になりましたから、大村市も赤字再建団体になるかもしれないなんて言われて、行政や議会に対する不信感から議員定数も削減しろと市民からの直接請求も提出されている状況でした。

 当時は行政や議会に対して風当たりが強い時代だったので、新人が選挙を勝ち上がっていくためには、地域の声を届けること以上に、議会や行政のあり方に対する問題提起を明確に示す必要があったと思います。

 だから、全市的な視点で政策を訴えながら、若い人たちも政治行政に目を向けてもらえるような新しい選挙手法にチャレンジをすることで勝機が出て来る。むしろ、そうじゃないと勝てないと思ったんです。政治行政の既得権益については結構強めに訴えていたので、多分、当時の現職議員や役所の幹部からは「なんや、アイツは」という感じだったと思います。

自分が市長のつもりで議員の仕事をした

加藤:勝算はあったのでしょうか?

園田市長:根拠のない自信ですが、なんとか勝てるのではないかと思っていました。

 大村市は約9万5千人のまちで、議員定数が25人、当選ラインが約1000票です。私の場合は、手弁当で選挙を手伝ってくれた同級生や、当時勤めていた病院の仲間、近所で応援してもらった皆さんなどを積み上げると300票くらい。残り700くらいの浮動票を取りたい、と。ところが結果的には速報で300、500、700、1000と伸びていき、最終的に1601票をいただき25人中5位で当選することができました。

 正直、当選した時は怖さを感じました。というのも、ほとんどの票は誰が入れてくれたのかが分からない。でも、それが政治家として非常に大切な事ではないかと考えました。誰が票を入れてくれたか分からないからこそ、これからの4年間を厳しく評価されることになる。自分が選挙で訴えたことを全て実行しなければ、次の選挙で同じ風は吹かないと、断固たる決意で議会に挑みました。

 首長になりたいというのはその後に芽生えましたが、自分が市長のつもりで議員の仕事をしようと思ったんです。もし自分が市長だったら、どのような政策を提案し、各種課題解決をどのように判断するか常に考えることで自らを鍛えられますし、市長の視点で意見を言うには勉強しないとできません。

医師会がクリニックの開設に圧力

加藤:実際に議会に入ってみて、どう感じましたか。

園田市長:議会に入った時に一番重きを置いたのは既得権者の問題でした。会派には属さず1人会派でやっていく中、数の論理で物事が動かない時は、問題の本質とその背景をマスメディアに提供することで、世論に問う形で行政や議会に力が加わるように働きかけていました。

 また、私はもともと看護師をしていたんですけど、以前に勤めていた病院が医師会との問題を抱えていました。当時、新たなクリニックを開設しようとした際、医師会からの圧力があったようで、これに対して、その病院の理事長は独占禁止法違反で医師会を公正取引委員会に告発し、病院が医師会を訴えて、裁判になりました。

 実はこれは本にもなっていますし、裁判も行われて結果的に和解になっています。最高裁まで争うような事例となってしまうと世間で注目が集まり、全国に眠る同様のケースが明らかとなります。それを医師会が懸念し、和解につながったと聞いています。そういう経験から世の中や既得権者に対してすごく意識が向いていました。

 議員になったときにすごく分かりやすかったのが、インフルエンザワクチンに対する補助金のあり方です。当時、市は医師会に対して補助金を出していたんです。つまり、医師会に入っていない病院では患者さんに補助がない。例えば、1000円で受けられるところが3000円かかってしまう。それって公平性の観点からもおかしいですよね?

 本来、市は医師会に補助金を出すべきではなくて、ワクチンを接種する市民に出すべきでしょう。だとしたら、病院が医師会に入っているいないに関係なく、補助対象となる市民がその恩恵を享受すべきだと議会の一般質問の場で議論しました。結果的に医師会に入っていない病院でも補助金を出す形になりましたが、これは典型例として、非常に大きな事例だと思うんです。

 もちろん、医師会をはじめとする関係団体へ市が様々な事業をお願いし、委託している側面もありますから、相手側の要求が強くなってくるということもあります。それらを、きちんとした原理原則に沿って整理していく必要があると感じていました。

(第2話へ続く)

※本インタビューは全6話です。

提供:HOLG.jp

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