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夏になると売れる不思議な本 「戦中・戦後の暮しの記録」制作秘話 (2016/8/15 70seeds

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「毎年夏になると売れる」そう言われる“不思議な本”がある。それが、暮しの手帖社が発行する『戦争中の暮しの記録』。

戦後23年というタイミングで、日本中の読者から投稿された「戦時中の話」をまとめたこの本は、映画『この世界の片隅に』の参考資料にもなった、当時の「暮し」がつづられた一冊だ。

そして戦後73年を迎えた今年、暮しの手帖社から出版されたのはその続編にあたる『戦中・戦後の暮しの記録』。2017年に読者からの公募を行い、2390通もの作品が寄せられたこの企画、なぜ「今」なのか。

制作に携わった澤田康彦編集長と、編集部の村上薫さんの話から見えてきたのは、今「暮し」を見つめることの意味だった。

暮しの手帖社から出版された『戦中・戦後の暮しの記録』

「実録」ではなく「感情の記録」

2015年、70seedsでは『戦争中の暮しの記録』(以下、『戦争中』)の編集に携わった当時の編集部員、河津一哉さんへのインタビューを掲載した。

それから3年後となる今年に出版されたのが『戦中・戦後の暮しの記録』(以下、『戦中・戦後』)だ。

このふたつの本を並べたとき、まず最初に気づくのがタイトルの違い。

「戦争中」から「戦中・戦後」へ――インタビューはそんな2冊の違いの裏側への語りから始まった。

『戦争中の暮しの記録』と『戦中・戦後の暮しの記録』

岡山:以前の書籍は「戦争中」、今回は「戦中・戦後」となっています。終戦から73年という時間が経って集められた原稿からは、以前のものとどのような違いがあったのでしょうか。

村上:『戦争中』の原稿は、当時暮しを支えていた大人によるものが多かったのですが、今回の原稿は当時子どもだった人がほぼ9割でした。

子どもの視点から見た大人の姿や、五感で感じたことが素直に書かれている印象が強いですね。

あと、時が経ったからこそ戦争を客観視できているし「あれはなんだったんだろう」という反省や、「繰り返したくない」想いや祈りも強い。

澤田:物理的に、当時大人だった人たちってもうほとんどいなくて、今生きているのはその子どもたちなんですよね。

僕もそうだけど、子どもの頃の体験ってやっぱり残っている。彼らにとって一番強く残ったのが戦争体験で、それはたぶん消えない。

岡山:そうですよね。

澤田:こっち(『戦争中』)は怒りも強烈ですしリアルな質感がある。そしてこの「記録」という言葉が強くて。その当時のリアルを客観的に残していこうという(当時の編集長である)花森のテイストと、時代の雰囲気が強い。「実録」という感じ。

今回の本はもっとエモーショナルな、極端に言うと「感情を記録として」残したいと思いました。

村上:読めば読むほど贈り物をいただいた気分になりました。託されたような気持ちで、橋渡しとしての使命感が強くなりました。

それで、タイトルも変えることになったんです。

澤田康彦編集長と、編集部の村上薫さん

「君」とは、わたしたちすべて

岡山:『戦争中』と『戦中・戦後』では、制作側の世代も違いますものね。

澤田:そのあたりはリード(巻頭文)にも込めてます。花森さんに対抗というかオマージュとして。ハナモリの存在は重いです。

村上:でも、この澤田のリードを受けて私たちの行く道筋がはっきりしたんです。表紙のデザインなんかも含めて。

『戦争中』のときは花森が戦争体験者として、リーダーのような感じで手記を集めたんですが、今回われわれは「戦争を知らない人間が教えてもらう」という形。

澤田:キーワードがあって、それは「君」。原稿を寄せてくださった、書いている人たちが「まだ会ってない君」に宛てている。僕ら全員があなたじゃなく「君」なんです。

岡山:あ!「君」と発している主体は、編集部ではなくて戦争体験者の方々ということ…!

澤田:そう。表紙も、デザイナーの佐々木暁さんのパートナーの中村たまをさんが「この(『戦争中』)バラはワイルドだ、『戦中・戦後』の方は新緑で、ベビーのようにも見える。新しいものに向かっていく感じ」と評してくれていて。

このバラを持っている手は妊婦さんなんです。カメラマンの川島(小鳥)さんのアイデアで。それも含めてみんな初めてのことにチャレンジしたんですよ。

「君」とは、わたしたちすべて

岡山:そこまでのこだわりが込められていた…。

澤田:自分の命は偶然の先にあるもの。あの戦争のとき、きっと誰かが自分の親、祖父母を助けてくれたから今自分がここにいるんだろう。これまでもそうだけどこれからもきっとそう。そのためにどうするかといえば、戦うしかない。自分の暮らしを守るために。

岡山:それが「君と、これから生まれてくる君へ」ということなんですね。

村上薫さん

書かれていたのは、子どものときに知りたかったこと

『戦中・戦後』についての話を聞く中で、特に聞いてみたかったことのひとつが、編集を担当した村上さんの変化だった。

3年前の記事で村上さんは『戦争中』についてこう語っていた。

「暮しの手帖を代表する書籍の一つで、暮しの手帖社の理念の様にいつも寄り添ってくれている本ですね。これからも大切にしたいと思っています」

既にある本を売る、という立場から自分が中心となってつくるという立場へ。その変化は村上さんにどんな影響を与えたのだろうか――。

岡山:なんとなくですが、村上さんの印象が3年前と変わったような気がしていて。今回の本づくりはそれだけ大きな経験になったんでしょうか?

村上:そうですね。私は書籍担当ですのでこの本(『戦争中』)にまつわることは対応してきています。これまでは、毎年、夏になると必ず売れる本で、増刷の手配もするんですね。ありがたいなあ、とどこか他人ごとな部分はありましたね。

澤田:村上もぼくも戦争を知らないということでは同じだけど、ぼくよりずっと若いので、もっと「知らない」世代なんですよね。同じ戦後育ちでも、人によって「戦争」の輪郭の把握は全く違うし、一般的には当然若い人ほど「おぼろ」なものでしょう。

村上:そう。私の世代は親も戦争を知りません。戦争を知らない親の子第1世代だったんですね。そのためか、地元は熊本なんですけど、学校での戦争教育が熱心で。毎年8月6日、9日、15日は登校日。広島・長崎の被爆者の方が話をしに来てくれていたんです。体育館中に原爆のひどい状況の写真が貼られたりして。戦争=怖い、痛いものだと思っていた。

澤田:だいじな夏休みの登校日にそれでは、子どもたちには余計忌み嫌うものになってしまうなあ。

村上:でもこの本は興味深く読めたんです。どんどん暮らしが壊されて、あたりまえの暮らしができなくなることも被害の一つだと、大人になってわかった。それをこどもの時に知りたかった。戦争が身近なことになったきっかけがこの本だったんです。

澤田:『戦争中』は1941年から1945年と期間を正確に決めて集めている。『戦中・戦後』の方はわりとグズグズとやっている。「時代に切れ目なんてない」、ずっと途切れなく続いている時間の流れの中にあるわけで。ここから戦争、ここから平和なんてないから。
「時間に切れ目なんてない」。この言葉から始まり語られたのは、「暮し」に対する澤田さんのまなざしだった。

澤田康彦編集長と、編集部の村上薫さん

今「暮し」と向き合う意味

岡山:戦争が終わったからといって暮しがすぐに元通りになったわけじゃありませんからね。

澤田:ないです。だから最終章などは未来を感じさせる原稿を選んで入れたりもしています。本当はそこに沖縄の原稿とかもあればいいんですが、いかんせん2390という限られたソースから抽出しているので。

結局アメリカの支配が終わっていない沖縄は、実はまだ戦争終わってないようなもの。そんなことを思ったりもするけど、個人的なメッセージは入れないようにしています。編み手が感情的に、恣意的になってはいけないから。

編集はそれをしちゃいけない。

村上:つい感情を入れたくなるんですけどね。編集がそれをやっちゃダメなんです。
でも、寄せられた原稿を見ていたらやっぱり勉強になるんです。「今も変わってないな」とか。

澤田:少し話しが外れますが、僕には野田知佑(エッセイスト、カヌーイストとしても知られる)さんという師匠がいるんだけれど、彼がよく「川のことを教えなくちゃいけない」と言うんですよ。

岡山:川、ですか?

澤田:そう。日本は水の国で、本当に川に恵まれている。日本人の暮らしは川とともにあった。川遊びで間違うと子どもの命が奪われるときも当然あるけれど、そうすると親たちは子どもには「危ないから近づくな」と教える。

そうではなくて、どうしたら正しく、安全に、楽しく遊べるかを教えなくてはならないのに。そんな子が今度は親となる。泳ぎ方も潜り方も流れ方も、魚の捕まえ方とかも知らない。川の魅力も怖さも、価値のわからない人となる。それは由々しき事態ですね。

そんなことは今までの日本の暮らしにはなかった。川を大切にし、川で遊ぶのが日本人だったのに。

岡山:必要なのは禁止ではなく、「付き合い方」を教えることだと。

澤田:そうです。これはたまたま川の話ですが、戦争の教育なんてそれの最たる話ですよね。ほとんどの若い方はもちろん、その親も戦争を知らないですよね。

岡山:今の話でハッとしたのが、「台風がきたら外は危ない」とか、自然の怖さはまだ体験があるけれど、戦争については具体的なイメージが全然湧かないんですよね。

澤田:そうなんです。だから、どう戦争になっていったのか、なったらどんな暮らしになったのかについては、知っておかねばなりません。これは学校では教えてくれないことです。

ただ一方で、戦争の教育は難しい。常にそこに敵がいる歴史だから。いなくても、仮想敵を見つけなきゃいけない傾向があって。どこの国もそういうものですが、隣国を憎むものです。

よく政治家の発言で挙がるでしょう。「○○からミサイルが飛んできたら」とか。あわせて「今の若者は緩みきってるからそういう(軍隊の)経験もさせたほうがいい」とかって。あれは煽りです。乗せられてはいけない。本当に危険ですよ。

澤田康彦編集長

岡山:だからこそ、「戦争が起きたら」より「起きないために」を考えることが重要なんですよね。今回の書籍からはどんなことを受け取ってほしいと思いますか?

澤田:まずは暮らしという言葉ですね。いみじくも『暮しの手帖」という名前ですけど、根本はひとりひとりの暮らしを大切にすること。そこにつきる。

自分の暮らし。次に自分の大切な人を大切にすること。それは同時に他人の暮らしをリスペクトすること。それがおびやかされるようであればそれに対して戦わなくちゃいけない。

村上:それも、小さな芽のうちから。

澤田康彦編集長と、編集部の村上薫さん

        ◇

『暮しの手帖』がよって立つ、「暮し」という場所。そこに向き合うことを今回出版された『戦中・戦後の暮しの記録』は伝えている。

だが、どうしても「戦争」というテーマが商業的には大きな流れに乗りにくいのも事実。「広告を取らないこと」をポリシーとして貫いている『暮しの手帖』は、いったいその壁にどのように向き合っているのだろうか。

次回記事では、『暮しの手帖』が立つ出版社としてのあり方、そして彼らが考える「次の70年にのこすもの」について届ける。

提供:70seeds

岡山 史興
70Seeds編集長。「できごとのじぶんごと化」をミッションに、世の中のさまざまな「編集」に取り組んでいます。

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