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2017年10月に惑星ニビルが地球に衝突!? なぜ人は世界の終わりに引きつけられるのか?  ニュースフィア 2017年1月16日

 2017年、新たな年を一体どんな1年にしようかと胸躍らせている人も多いだろう。しかし今年は人類最後の年になるかも、という「世界終焉説」が浮上している。この類の話は浮かんでは外れて消えるというのを繰り返しているが、今度は一体どんな理由で世界が滅びるというのだろうか?

◆2017年終焉説 惑星ニビルの衝突
 今回の終焉説は2017年10月、惑星ニビルが地球に衝突する、というものだ。各紙が伝える内容は、調査ジャーナリストのデイビット・ミード氏が昨年出版した本『Planet X – The 2017 Arrival』(惑星X、2017年の到着)をベースにしている。概要はこうだ。私たちの太陽系のそばに、太陽の双子とも言える恒星が7つの惑星を持って存在しており、地球に近づいてきている。その中の巨大惑星「ニビル」が地球にぶつかる、という筋書きらしい。ただしこの恒星もニビルを含む惑星も、科学的にその存在が確認されたことはない。

 ミード氏は、惑星が見えないのは地球の南極側から近づいて来ている角度が原因であるとしている。存在は見えないものの引力はすでに地球でも感知されており、環太平洋火山帯の地域で地震や火山活動が活発化しているのはそのためだという。この終焉説を取り上げた1月4日付のデイリースター紙は、「ここ数週間で日本、ペルー、ニュージーランド、アルゼンチン、インドネシアで大きな地震が発生している」と加えている。

◆惑星ニビルは存在する?
 しかしニビルは本当に存在するのだろうか? 「地球に衝突するかもしれない謎の惑星」の存在はかなり前から囁かれていた。ニューヨーク・デイリー・ニュース紙によると、最初にニビルを唱え始めたのはアメリカ人作家ゼカリア・シッチン氏だ。1976年発売の著書『The 12th Planet』(第12惑星)で、3600年周期で地球に近づく、楕円形の軌道を持つ惑星ニビルを説明した。

 しかしメトロ紙は、ニビルが「2015年9月や12月に地球に衝突すると広く予言されていた」が外れたと指摘している。さらにニビル以外にも、2012年に世界が終わるとした「マヤ暦による終焉説」や、宇宙人が2003年に地球を破壊すると主張したナンシー・リーダー氏の予言があったと加えた。同紙はさらに、アメリカ航空宇宙局(NASA)はニビルの存在をずっと否定してきたとして、「なぜ2012年で世界は滅びなかったか」と題したNASAサイト上の記事(2012年12月23日付)を紹介している。NASAはここで、ニビル地球衝突はもともと2003年5月と予言されていたが、何も起こらなかったので2012年に移動してマヤ暦の終焉説と結びつけられた、と説明。さらに、ニビルなど予測不能な惑星の話はネット上のデマであり、もしニビルが本当に地球に向かっているなら「今ごろ肉眼でも見えるはずだ」と一蹴している。

◆終焉説はなぜ人を魅了する?
 しかしなぜこうも「世界終焉説」は予言が外れてもまた出てくるのだろうか? そしてそのような記事やテレビ番組があると、なぜ私たちは「まただよ」と思いつつ、つい見てしまうのだろうか?

 アメリカの科学ニュース・サイト『ライブ・サイエンス』が2011年5月、「人はなぜ終焉を心待ちにするのか」という記事でその心理を説明した。モントリオールのコンコルディア大学で宗教学を教えるディトマソ教授は記事の中で、「極端な例」としながらも、アメリカで2011年に終焉説を説いて回ったキリスト教系ラジオ局のパーソナリティの話や日本のオウム真理教の事件を例に挙げ、「終焉説は珍しくない」と説明した。何かの宗教を信じているわけではない人でも、終焉を描く本や映画に魅了されるとも指摘した。

 同教授によると、終焉説はここ40〜50年で増えているが、終焉説を信じる人たちには「世界にはびこる問題が大きすぎて人間の手には負えない」という心理があるという。こうした思いに対して、宗教(聖書)を信じる人には「神が解決してくれる」という心理が、そうでない人たちには「何かしらの大惨事があるはずだ」という心理が働くのだという。さらに同記事によると、宗教を信じる人は自分が「救済される」側に入っていると信じ、宗教を信じていない人は「その時」には生き残るために戦う、と考えるようだ。つまり、世界終焉説を信じる人たちは、世界が終わっても自分が死ぬとは必ずしも思っていないようである。

 終焉説というのは、「世の中がもっとよくならないだろうか」という人々の願いの表れなのだろうか。それならば、終焉説は怖がるのではなくエンターテイメントと割り切って楽しみつつ、終焉させなくていい世の中にするには自分には何ができるか考えた方が、惑星ニビルに立ち向かう準備をするより現実的かもしれない。

提供:ニュースフィア