18世紀の交易所にアンプがあったなら―アイヌと日本人の“境界線”から生まれるOKIの音楽  |  政治・選挙プラットフォーム【政治山】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
トップ    >   記事    >   18世紀の交易所にアンプがあったなら―アイヌと日本人の“境界線”から生まれるOKIの音楽

18世紀の交易所にアンプがあったなら―アイヌと日本人の“境界線”から生まれるOKIの音楽 (2016/11/17 70seeds

関連ワード : インタビュー 北海道 

伝統芸能の継承者が少なくなってきている…これは日本が抱える大きな問題です。少子高齢化、都市部への人口流出などが原因といわれていますが、そのような社会状況の中でも伝統を次世代へつなげよう、多くの人に伝えていこうと活動している方々もいます。

皆さんは「OKI」というミュージシャンを知っていますか?アサンカラ(北海道旭川市)アイヌの血を引くトンコリ奏者です。トンコリとはカラフトアイヌの伝統的な弦楽器で、ギターのような形で、ハープのように演奏されます。

このトンコリ、基本は生音で演奏するのですが、そこに一工夫加えたのがOKIさん。アイヌの伝統を、ちょっと変化させながら日本のみならず世界に発信しています。そのOKIさんに、「アイヌの血をひく者」としての生き方を聞きました。

アイヌの血を引くトンコリ奏者のOKIさん

原点は、「昔のアイヌの人がどんな演奏をしていたか」

――OKIさんは現在は北海道在住ですが、学生時代は神奈川で過ごされていたとか。

育ちは神奈川、大学は東京でした。なので、自分の内面をつくったのは、アイヌ文化とは関係のない環境だったんです。実は、僕自身アイヌの血を引いていることを知ったのは大学4年生のときなんですよ。父親が旭川出身のアイヌなんですが、離婚して母親に引き取られたんです。3歳くらいまで阿寒(アイヌ民族が多く暮らしている)に居たらしいのですが、全然覚えていなくて。

――記憶は神奈川からですか…。

ずっと北海道に住んで、アイヌ文化のある環境の中で育った親戚たちを羨ましく思います。純粋なアイヌ人でもない、純粋な日本人でもない…もっとアイヌ寄りになりたいと思った時期もあったんですけど、立ち位置はどっちでもないんです。その境界線に立っている感じは、死ぬまで続くのかなと思います。

――すごい葛藤がありそうですね。

逆に表現の広がりを考えたときには、その立ち位置はマイナスにはならないんですよ。アイヌ音楽を伝えるというメッセンジャー的な部分は意識していなくて、自分の作った曲をCDやライブでどれだけ完成度を高めて気持ち良い演奏ができるか、その結果皆さんに喜んでもらうことがテーマなので。でも、軸は何かといったらトンコリなんです。

――あくまで軸をトンコリの演奏において、表現を広げると。

そうなんです。いつも立ち返る先は、昔のアイヌの人たちがどういう演奏をしていたかが原点ではあります。その原点を引っ張り出してきたときに、だんだんと『僕』という存在になっていくんですよ。

――いわばOKIさんに刻まれたDNAですね。

あとはアイヌ音楽のリズム。今のポップスは4・16といった拍子に取り方をしますが、アイヌ音楽は予定通りの拍子にはならないんです。7・3・3・5・9みたいに変拍子の嵐なので、凄いプログレッシブ。変拍子かつ輪唱や裏拍があるのですが、僕、大好きなんですよ。このリズムを聴いていると、リズムパターンが僕の中で決まって来るんです。今までなかったものが生まれる、楽しい作業ですね。このときは、アイヌ文化というよりは音の世界に没頭しているという感じですよ。

――音楽そのものにどっぷり入り込んでいるということですね。

そうです。例えば、レゲエアーティストがジャマイカを世界に知らしめることをテーマにしているわけではないと思うんです。それよりも、レゲエの良さを伝えているわけですよ。同じように、アイヌ文化を広めるというよりもアイヌ音楽をやっているんです。なので、今僕がやっている新しいアイヌ音楽に名前がついたらいいなと思っています。これは昨日寝ながら考えていたんですけど(笑)。

――それはいいアイディアですね!

皆さんに『アイヌ文化を広めている』と言われるんですけど、そんな大役は無理だと思って(笑)。音楽のジャンルを作って、その決め事の中で個性を出していくという……僕が今やっているOKI DUB AINU BANDみたいなことを、ほかのミュージシャンもやるようになったら面白いなと思います。

アイヌの血を引くトンコリ奏者のOKIさん2

アイヌ社会に居場所がなかった人間が見つけたアイヌとのつながり

――学生時代は鍛金をされていたそうですね。

鉄や真鍮や堂の板を叩いて、壺やヤカンを作っていました。日本の伝統工芸を学んでいたんですが、今と全然違うでしょ(笑)。

――卒業後はニューヨークで美術製作をされていたとか。

大学の同期は皆教授ですよ。僕は、美術では居場所がなかったんです。でも、失業が今につながっているわけだから、良かったのかもとも思います。ニューヨークから帰ってきたきっかけは、日本で長期に渡って映画を作るというので引き抜かれたんです。ニューヨークの住まいも引き払って帰って来たのに、2か月もしないうちに映画がポシャっちゃって(苦笑)。それがいい勉強になって、人に使われるのではなく自分でやってやろうと。自分でアイヌのドキュメンタリー映画を撮ろうと思ったんです。

――ルーツに迫る映画ですね。

そこにも理由があって、学生時代に突如2つのアイデンティティが現れて嬉しかった半面、苦しくなっちゃったんですよ。今まで信じていた日本人というアイデンティティに疑問を持ち、新しいアイデンティティに対してもアイヌ社会に受け入れられないという現実がありました。『東京に住んでいる奴にアイヌの気持ちがわかるわけがない』と。

――それは辛かったですね…。

今のように、札幌の街や新千歳空港にアイヌ文様があるような時代じゃないですから。それで辛くなって、ニューヨークに行ったんですよね。それがあったから、帰国して失業したときにアイヌの映画を撮ろうと思ったんです。それで相談したりいろいろ考えているときに、親戚と飲みの席でいきなり木の棒を渡されたんですよ。それがトンコリだったの。そのときに親戚から『北海道にも喜納昌吉(沖縄音楽を伝えるミュージシャンの代表格)みたいな人がいてもいい。お前が弾いてみればいいよ』と言われたんです。

――ついにトンコリとの縁がつながりました。

『これだ』と思いましたね。音楽はもともと好きだったので、その潜在意識が出てきたんです。高校の進路相談では『ロックミュージシャンになりたい』と言って、周りから大反対された過去がありますから(笑)。

――でもトンコリってすごく難しいと聞きました。

難しいなんてもんじゃない!(笑)弦が複数あるのにフレットがないので、いろいろなことができない楽器なんですよ。1曲ずつチューニングを変えないといけないので、やっかいで扱いづらい……初めて触ったときもポロンとやってみたんですけど、それで終わり。琴やハープがイメージに近いですね。未だに悩んでますよ、どうやって表現を広げていくのか。

アイヌの血を引くトンコリ奏者のOKIさん3

海外のフェスをヒントにトンコリが進化した

――本来のトンコリは生音が基本だと思いますが、電子を噛ませたのはOKIさんならではですよね。

それは僕ならではというか、海外のフェスではアフリカの伝統楽器にアンプを通すのは当たり前にやっているんですよ。それを見ていて、トンコリでもやってみようと思って。ドラムやベースのような音量・音圧のある楽器に混ぜていくのが面白いと。トンコリがバンドに入ると、トンコリの音が小さいのでほかのメンバーが小さい音量に合わせてくれるんですよ。それはそれで良かったんですけど、申し訳ない反面悔しくてね。それで、僕のトンコリの音量をほかのメンバーに合わせようと。

――アイヌの楽器が進化した瞬間ですね。ほかの文化に寄り添うというか。

トンコリは昔からアイヌが使っていましたが、どこかの交易所で交換したものかもしれないなとも思うんです。アイヌの文化には、日本文化の影響もたくさん入って来て混ざっていますから。交流するのが人間の基本ですから、何の影響も受けていない純粋な文化はありえないです。

18世紀のアムール川のほとりの交易所には、北海道からラッコの皮や鷹の羽が持ち込まれ、中国からは絹やガラス玉が持ち込まれていた……そこにもしもアンプがあったら、アイヌ人は交換してきたと思うんですよ。アイヌは好奇心旺盛ですから。そう考えると、僕のやっていることは至極伝統的だと思っています。

◇        ◇

【取材を終えて】
札幌生まれ・札幌育ちの私としては、OKIさんというアイヌ音楽を軸に活動しているアーティストとのインタビューを心待ちにしていました。というのも、個人的にアイヌ文化が香る土地や文様には心なしかドキドキするものを感じていたからです。

OKIさんは「血だけでは計り知れないものがある」と語ります。そもそもOKIさん自身も、アイヌの血を引いていることを知ったのは20歳を過ぎてから。しかし、刻まれたDNAは黙っていてくれませんでした。親戚がたまたま取り出した(確信犯だったのかもしれませんが)トンコリの音色で眠っていたDNAが疼き出し、今やアイヌ音楽のクロスオーバーの先駆者となったOKIさん。

ここで大事なのは「クロスオーバー」しているということ。「踏み外してはいけないとは常々思っている」とOKIさんは語りますが、アイヌ音楽の枠を超えて異文化へ歩み寄ったことでアイヌ音楽の進化形が生まれたのではないでしょうか。

最新作『UTARHYTHM』とは「仲間」を意味するアイヌ語「ウタリ」と「リズム」の掛け合わせ。タイトルもクロスオーバーしているOKIさんの生き様から、目を離してはいけないと思うのです。(橋場了吾)

【ライター・橋場了吾】
北海道札幌市出身・在住。同志社大学法学部政治学科卒業後、札幌テレビ放送株式会社へ入社。STVラジオのディレクターを経て株式会社アールアンドアールを創立、SAPPORO MUSIC NAKED(現 REAL MUSIC NAKED)を開設。現在までに500組以上のミュージシャンにインタビューを実施。 北海道観光マスター資格保持者、ニュース・観光サイトやコンテンツマーケティングのライティングも行う。

関連記事
「自分にしかできない仕事が、夕張にはあった」司法書士の20代夕張市議会議員から見た破綻後の街とは
【リアルな移住体験記】未経験からペンション経営者へ。Uターンをして家業を継いだ元グラフィックデザイナー
300年企業の中川政七と工芸産地が開く「大日本市博覧会」
浅草で伝統芸能アピール、人形浄瑠璃文楽で初めての「お練り」
G7なぜ伊勢神宮に? 安倍首相の意図を勘ぐる海外メディア…神道を政治に持ち込もうと!?
関連ワード : インタビュー 北海道