第28回 「我がなすことは 我のみぞ知る」  |  政治・選挙プラットフォーム【政治山】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
トップ >  記事 >  連載・コラム >  龍馬プロジェクト >  第28回 「我がなすことは 我のみぞ知る」

【龍馬プロジェクトリレーコラム/若手政治家が考える「これが私の『志』」】

第28回 「我がなすことは 我のみぞ知る」 (2013/11/22 榎本健治/龍馬プロジェクト)

関連ワード : 三重 榎本健治 紀宝町 

「地方から日本を変える」を合言葉に、日本全国の国会議員や地方議員などが超党派で集まった『龍馬プロジェクト』。政治山では、龍馬プロジェクトの思いに賛同した若手議員によるリレーコラムを連載しています。「これが私の『志』」の第5回は、三重県紀宝町議会議員で龍馬プロジェクト東海副ブロック長の榎本健治氏による「我がなすことは 我のみぞ知る」をお届けします。

◇        ◇        ◇

 私が生まれた1976年は、田中角栄首相が逮捕されるという戦後日本においても大きな転換点になった年であった。この偉大な政治家の逮捕という年に生まれた私は、やはり政治家という立場、つまりは社会を引っ張るリーダーとしての立場を意識しながら歩んできたように思う。

三重県紀宝町議会議員 榎本健治氏

三重県紀宝町議会議員 榎本健治氏

 自分の人生を決定する上で、重要な人物と出会っている。坂本竜馬である。もちろん彼と出会うのは司馬遼太郎の小説の中であるが、特に彼のこの言葉が心に響いた。「世の人は 我をなんとも 云わば云え 我がなすことは 我のみぞ知る」。自分の信じる道を突き進み、社会の中心で躍動し、多くの若い世代を結集し、明治維新という大きな時代の変革を成し遂げた、彼のような人生を歩みたいと考え始めていた。具体的にどうすれば彼のような人生を歩めるのか。そんなことを悩んだこともあった高校生活であったが、結局のところ自分が生まれ育ったまちを何とかしたい、この生まれ育ったふるさとを何とか活性化させたい、この思いが強いことに気付くことになった。

 高校卒業後も、多くの同級生が都会に出て就職したり進学したりする中、地元に残り、地元の企業に就職した。鵜殿村(今は合併して紀宝町になった)の青年会長を務め、鵜殿村青年会を中心にして、この地域の活性化に積極的に取り組み、さまざまな地域の行事やイベントに参加した。また村の過疎化を解決するために組織された若者定住促進協議会会長も務め、若い世代のリーダーとして、より積極的にまちの将来を考える仕事に関わるようになった。このころから、自分が生まれ育ったまちである鵜殿村の将来のことを真剣に考え出すようになっていた。このまま過疎化、高齢化が進んでいけば、いずれこのまちから若い世代がいなくなってしまうのではないか、自分の生まれ育ったまちそのものもなくなってしまうのではないか、このような事を考える日々が続いていた。

 そして、2003年、過疎化や少子化の問題がより深刻化し始めたこのころ、若い世代の意見が取り入れられることなく市町村合併が進められるまちの政治状況に強い疑問と憤りを感じた。よく考えてみれば、自分たちのまちを代表する存在であるはずの議会は年輩の人たちだけで構成されていた。若い世代の声をまちに届け、このまちを引っ張っていくために26歳で立候補を決意した。自分の思いや志を伝えた結果、多くの若い世代の賛同、そして市民の声を集めることができ、トップ当選を果たすことになる。

 現在では町議3期目、副議長を務めている。11年近く政治家を務める間に、単に若い世代の声を政治に反映させるだけでなく、さまざまな立場、年齢の市民の声を拾い集めることの重要さも認識している。

 また、政治の世界に飛び込んで以来、正直なところ自分の不勉強さを痛感することもよくあった。そこで、社会人向けの大学に入り直し、再びゼロから学んだ。

小泉進次郎衆議院議員と紀州災害の復興支援を行う榎本健治氏

小泉進次郎衆議院議員と紀州災害の復興支援を行う榎本健治氏

 このように、現在までさまざまな立場、役職を経験してきたが、常に共通してきたのは、チームや組織、地域のリーダーとしての自分の姿であった。そして、これは残りの人生も同じことである。ただひたすらに自分の歩むべき道を歩みつづけ、社会の変革を成し遂げようと思う。

 「世の人は 我をなんとも 云わば云え 我がなすことは 我のみぞ知る」。坂本龍馬はこのように言ったが、私もこのように歩んでいるつもりだ。若いうちから政治家を目指す人など少なく、自分でまちを動かしていくと強い思いを抱いている人は少ないが、私は自分で信じた道、歩むべき道を歩んでいるだけのことである。

 おそらく私が没した後に、人々は1976年という年をこう記憶にとどめるであろう。田中角栄の逮捕ではなく、榎本健治が誕生した年として。

著者プロフィール
榎本健治(えのもと けんじ):三重県紀宝町議会議員(3期目) 副議長。昭和51年鵜殿生まれ。鵜殿小学校、矢渕中学校、木本高等学校卒業。「紀州製紙(株)」入社、その後、鵜殿青年会長、南牟婁郡若者定住促進協議会長を勤める。平成15年、鵜殿村議会議員選挙で26歳の若さで初当選(トップ当選)おそらく県内最年少。平成18年1月10日、鵜殿村・紀宝町との合併により紀宝町議会議員に。新人ながら議会運営委員長を歴任。平成19年1月、合併後初の紀宝町議会議員選挙で2期目の当選。「子育て支援」などを中心に、お父さんお母さんの生の声を行政へ主張している。平成23年1月、紀宝町議会議員選挙で3期目の当選(トップ当選)。平成24年3月、日本福祉大学を卒業(福祉経営学部)。平成25年2月、副議長に就任。
龍馬プロジェクト リレーコラム
第27回 地方議員が政治家として持つべき役割(佐々木雄司)
第26回 自然栽培で世界を救う(松岡隼人)
第25回 教育から政治家としての資質とレディネスを考える(鳥越浩一)
龍馬プロジェクト リレーコラム一覧
関連リンク
龍馬プロジェクトホームページ
facebookページ(ryomaproject)
関連ワード : 三重 榎本健治 紀宝町