第106回 安心で住みやすい中央区を区民と共に  |  政治・選挙プラットフォーム【政治山】

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【LM推進地議連連載/リレーコラム47~地方議員は今~】

第106回 安心で住みやすい中央区を区民と共に (2014/10/8 東京都中央区議会議員 渡部恵子氏/LM推進地議連会員)

関連ワード : 中央区 東京 渡部恵子 災害 

政治山では、政策立案を行う「政策型議員」を目指す地方議員らで構成される「ローカル・マニフェスト推進地方議員連盟」(略称:LM推進地議連)と連携し、連載・コラムを掲載します。地域主権、地方分権時代をリードし、真の地方自治を確立し実践するために設立された団体のメンバーが、それぞれの実践や自らの考えを毎週発信していきます。現在は、全国47都道府県の議員にご登場いただき、地域の特色や問題点などを語っていただく「リレーコラム47~地方議員は今~」を連載しています。第106回は、東京都中央区議会議員の渡部恵子氏による「安心で住みやすい中央区を区民と共に」をお届けします。

◇        ◇        ◇

中央区のなりたち

 1947年(昭和22年)3月15日、旧日本橋区と京橋区が統合され誕生したのが今の中央区です。区名が示す通り、東京23区のほぼ中央に位置し、その区域は、両国橋下流の墨田川右岸に沿って帯状の広がりを見せる日本橋・京橋地区と隅田川河口に位置する佃、および明治以降に隣接して埋め立てられた月島・晴海地区から成り立っています。

 区境は、隅田川を境に江東・墨田両区に接し、西は千代田・港両区に、北は千代田・台東両区に面し、南は東京湾に臨んでいます。東西両端の最長距離は約3キロ、南北間は、約5.5キロ、面積は10.094平方キロメートルであり、台東区に次いで23区中2番目に小さな区です。

 総人口は1953年の172,183人をピークに減少の一途をたどり、バブル経済の影響などにより、1997年には7,090人と過去最低の人口を記録しました。その後人口対策を講じ、1998年にはようやく45年ぶりに増加に転じました。現在は13万人を超え、新生児の誕生数も、外国人の人口もゆるやかな増加傾向にあります。区民の約90%が集合住宅に暮らしています。

区の歴史

 江戸開府以来、徳川家康が天下普請と呼ばれる大規模な埋め立てを開始、常に港湾としての利用を考慮しながら埋め立てによって、本区は造成されました。江戸の物流販路として江戸の港の整備に伴い、そこに居住した人々も魚市場・廻船問屋・酒問屋・材木問屋などの河岸問屋を後に形成していきました。

 中央区は、武家屋敷が約96%を占めていたといわれています。中央区役所も、土佐藩の第二屋敷跡地の一部であり、現在の京橋2丁目にあったといわれる千葉道場へ通うため、坂本竜馬がこの屋敷から通っていた?というお話もあります。

 現在の明石町の聖路加国際病院の隣には浅野内匠頭邸跡もあり、「忠臣蔵」の舞台としてよく知られています。この明石町は、二葉学園、女子学院、立教学院、明治学院とカトリック系の学園が発祥していった地。カトリック築地教会聖堂は、NHKの朝ドラ「花子とアン」の主人公村岡花子さんがご主人と結婚式を挙げた教会です。芥川龍之介もこの地で生まれました。

 ほかにも、八丁堀の与力・同心組屋敷跡、現在の人形町にある日本橋小学校は西郷隆盛の屋敷跡、勝どき4丁目には十返舎一九のお墓、歌川広重の屋敷跡……と中央区は歴史と文化が息づく街。国・都が認めた多くの文化財があります。

 明治以降は、銀座煉瓦街が建設され、築地居留地も繁栄。その後、関東大震災や戦災によって大きな被害を受けましたが、これを克服し現在に至っています。

カトリック築地教会(左)、築地の波除神社のお祭り(右)

カトリック築地教会(左)、築地の波除神社のお祭り(右)

現在の中央区

 2020年の東京五輪では、晴海に選手村を迎えることとなりました。2014年5月には国から日本橋地区が薬特区に認められ、東京駅前から京橋、日本橋地域に大規模な再開発を行う予定になっています。隅田川を越えた月島・晴海地区には、高層住宅の建築が相次ぎ、今後人口が4万人増加する試算が出され、保育園・幼稚園・学校整備が喫緊の課題となっています。昨年度、そして本年度と過去最大の予算が付き、こうした学校整備と同時に、これから築地中央卸売市場が江東区へ移ることから、食文化の新たな築地を構築するための予算も付けられています。既に、問屋は東日本橋の生地問屋を残すだけになるため、本区としても世界ブランドとなった築地の食文化をさらに発展させていく方向にあります。

 昨年度、「基本計画2013」を策定し、中央区の発展の10年計画を示したところですが、ここには晴海の選手村計画と、日本橋の創薬特区構想は入っていません。今後の少子高齢化の中で、人口が集中する都心としての役割を果たす新たなビジョンを打ち出す必要があります。

 また、2011年3月11日に起きた東日本大震災では、帰宅困難者が昭和通り、晴海通り、中央通りを埋め尽くし、区民の避難所にも殺到するという状況になりました。そこで、再開発を行う中で、帰宅困難者を数千人規模で受け入れる体制をこの3年間で構築しています。歌舞伎座の地下も、日本橋室町コレドの地下も民間企業にも協力いただきながら、大震災時の帰宅困難者対策を講じています。

議員として取り組んでいること

 私は初当選以来、常に「区民とともに歩き、区民と共にこのまちを栄える」、という意識で取り組んでまいりました。それには、現場主義、即実行、即対応が大切です。1期目なので、勉強しながら取り組むことの方が多いのですが、アンテナを高く張り、情報リテラシーを大事にしながら区政に取り組んでいるところです。

 今こそ取り組むべきは、人口問題です。今後、本区は東京五輪後の選手村跡地を住宅にする予定であり、現在建築中の高層住宅を含め、この地域には今後4万人増加します。都心への人口流入が増える中、湾岸地域に高層住宅を建築している本区の責任として、少子化対策を講じるべきだと考えています。働くお父さん、お母さんが安心して子供を預けられる環境整備を行う必要があります。

 同様に、介護が必要な家族がいる人たちのためにも対策を講じる必要があります。介護離職者を出してはならないからです。生産労働人口が減少すると、企業の生産量も減少するといわれています。今こそ、徹底した少子化対策を講じ、高齢者には健康寿命を保つ役割が地方行政にあると考えています。

 また、本区が力を入れている理数教育と外国理解教育。この全体的な底上げを図り、小学校教育の中だけではなく、中学・高校、そして大学へと進学する中で、子供の好奇心の種がやがて大きな花を咲かしていけるように、連綿と途切れのない理数教育、外国理解教育を行うことが大事です。日本人として、そして国際人として大きくはばたける下地を構築したいと考えています。

 4万人の人口増加を見据え、保育園整備、学校整備が必要です。その後の人口推計も考慮しながら、常に30~40代が転入し、子供から高齢者まで住みやすい安全な都心のまち「中央区」を構築していきたいと考えています。

 この街の発展も大変重要です。築地市場の移転に伴い、800社ほどの仲卸が江東区へ移転します。中央区に新しい産業を生み出せるものを創出していくことが、雇用を生み、税収となって、この国に潤いを与える一助となっていくと考えています。

 地球環境保全を大切にしながら、中央区の魅力をさらに発展させていく施策、未来に継承していくレガシーは何か?そして人々が安心して暮らせる住みやすい街を、未来ある子供たちの教育を、人々の日々の暮らしによって紡がれていくこの街の発展を、これからも区民の皆様と築いていきたいと考えています。

弁護士の伊藤真先生をお招きし、区民の皆様と「憲法」(立憲主義)について学びました。こうした機会を作るのも議員の役目かと思います。

弁護士の伊藤真先生をお招きし、区民の皆様と「憲法」(立憲主義)について学びました。
こうした機会を作るのも議員の役目かと思います。

石巻、南三陸の視察を通して考える議員の役割

2013年5月、石巻、南三陸を視察しました。被害を受けた人が、未だ仮設住宅にお住いの現状もあり、先人たちに学ぶために被災地へと伺った次第です。

 その際、南三陸町の佐藤仁町長とお話しすることができました。発災直後の初動体制の重要性や、危機管理としての最善の策、そして次善の策を構築しておくことこそ、防災対策を講じた、という意味なのだと教えられました。

 1人ひとり、お会いすれば「あの日」のストーリーをお持ちです。

 津波から難を逃れた職員の胸ポケットに入っていたタバコとライターで、多くの人が暖を取ることがとることができました。

 妻を亡くした人は、木彫りの仏様をずっと仮設住宅で掘り続けておられました。

 仮設住宅に住んでいない、被災していない近所の人が、仮設住宅に住んでいる人用の配布物を一緒に並びもらっていく。しかも、夫婦2人暮らしなのに「10人です」と嘘をつき、平気でタダで物をもらおうとする近所の人に対し、やり場のない怒りを訴えた仮設住宅の理事長さんもいらっしゃいました。

 都市型災害はまったく異なる災害となることは目に見えています。食料のみならず、トイレや下水道などの衛生面も含めた待避所の確保も必至事項です。被災地の現状は、私たちに事前の備えの大切さと、発災直後の迅速な初動体制がひとりでも多くの命を救う、ということを教えてくれます。

 議員の役目は、さまざまな近未来の視点を持ち、議会に提言していくことも仕事の1つです。被災地から学ぶ多くのことから、復興期こそ時間を要す中で、人々の心が荒んで行かないようにしなければなりません。議会で一般質問に立つたび、防災対策や備蓄、そして日ごろの防災訓練など、強く訴え続けています。

2013年5月に石巻、南三陸を視察。左は、佐藤仁 南三陸町長

2013年5月に石巻、南三陸を視察。左は、佐藤仁 南三陸町長

著者プロフィール
渡部恵子氏渡部恵子(わたなべ けいこ):中央区議会議員
昭和女子大学付属昭和小学校・中学校・高等学校卒業。
平成元年、獨協大学経済学部経済学科卒業。
 野村證券株式会社に勤務。法人・職域営業を行う。その後、渡英し、ル・コルドンブルー、パリのエコール・ルノートルで料理と菓子を学び。ロンドンのメイフェア・インターコンチネンタルホテルで修業、4年間英国に滞在し、帰国する。
 帰国後、「社会貢献をしたい」との思いで、法律家を目指すべく証券会社に勤務しながら夜は予備校に通うも、家業である築地市場の仲卸の後を継ぐため、法律家の夢は断念する。
 その傍ら、産業カウンセラーの資格を取得し、メンタル不全に陥った方や自死遺族のカウンセリングを行う。その後、長年念願だった社会貢献の機会をいただき、平成23年統一地方選挙で初当選。現在も家業の手伝いをしながら、議員活動を行っている。
LM推進地議連の連載コラム
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